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ミャンマー人ガイド・ミーミーちゃんとミャーミャーちゃんのこと

添乗員時代、世界各地のさまざまな現地ガイドさんと一緒にお仕事をさせていただきました。
素晴らしくプロフェッショナルな方、とてつもなく面白い方、不慣れながらも一生懸命ご案内してくださって返って印象に残っている方…などなど、皆さんとの一期一会の出会いを今も懐かしく思い出します。

近頃よく思い出すのは、ミャンマー人ガイドのミーミーちゃんとミャーミャーちゃんのこと。
私が始めてミャンマーを訪れた1995年12月に、現地ガイドをしてくれたお2人です。

当時はミャンマーの観光が民営化されたばかりの頃で、「ビジット・ミャンマー・イヤー」と銘打って、国をあげてツーリズムに力を入れ始めた頃でした。
10名ほどの小さなグループでしたが、日本語を話すミーミーちゃんと、英語ガイドのミャーミャーちゃんの2人がついて案内してくれたのでした。

ちなみに、ミーミー、ミャーミャーという彼女たちの名は本名。
ミャンマーの人たちは、姓名の姓がなくファーストネームのみ。お2人とも木曜日生まれだから、「M」で始まる名前なのだと聞いた気がします。(ミャンマーでは生まれ曜日が重要で、お寺に曜日ごとの神様がいたり、生まれ曜日には家の前をホウキではくなど善行をするとか)

当時は私も若かったけれど、このお2人もまだ大学を出たての可愛らしいお嬢さんでした。
ミーミーちゃんは早見優似、ミャーミャーちゃんは石川秀美似の美人で、毎朝違ったロンジーをはいて「おはようございます!」とすがすがしい笑顔でホテルにお迎えに来てくれるお2人は、本当に可愛かったのです。

彼女たちの仕草・立ち振る舞いには、今の日本人女性が失ってしまったアジア女性の控え目さ、優しさがあふれていて、お客様一同、感激しっぱなし。
観光地の入り口で、ふと気がつくと「あれ、ミーミー&ミャーミャーがいないぞ?」ということがしばしば、どっちに行ったらいいの~とうろたえる添乗員の私。
探してみると、なんと年配のお客様の手荷物を持ってあげたり、歩くのが遅いお客様の手を引いてあげたりしているのでした…。
彼女たちにとって、日程を効率よく進めることよりも、目の前にいるお客様をヘルプすることの方が優先なのです。

しかし、時にはグループの先頭に立って、リーダーシップを取ってもらわねばならない場面もある。
本来、そっちの方が現地ガイドの仕事なのですが、そんな状況になると「ナオコさ~ん、やって~」と私に頼ってくるミーミー&ミャーミャー。
見るからにはかなげな若いお嬢さんたちですし、今の私なら「よっしゃ、やってあげましょう!」と逆に張り切ってしまうかもしれないのですが、当時は自分自身も「若いお嬢さん」のつもりでいたものですから(笑)、そんな2人が次第に無責任に見えてきて、イライラし始めたのでした。

ある日、マンダレーのホテルかどこかで何か問題が起こり、やはり「ナオコさ~ん、やって~」とお願いモードの2人。
ついに私のイライラが爆発、「あなたたち、ガイドでしょ。トロトロしてないで、さっさと仕事しなさい!」とか何とか一喝して、半泣き状態の2人を後に、さっさとその場を立ち去ってしまったのでした。

しばらくして、再び私のところへやって来たミーミー&ミャーミャーちゃん。
「ナオコさん」
と消え入りそうな声で呼ぶので、何かと思って振り向いてみれば、私に向かって合掌しながら「ごめんなさい」と謝る2人の姿が…。

その姿を見たとたん、あ~、私って、何て心の狭い鬼ババアだったんだろう~、と深い後悔の念が湧き上がってきたのでした。
いつもいつもお客様に親切にしてくれた優しい2人、「ナオコさん、何が好きですか?」とおいしいおかずをゲットしてくれようと気を遣ってくれた2人、観光バスの中で(ちなみに日本の中古車。「さくら幼稚園」と書いてありました)ビジット・ミャンマー・イヤーの歌を歌ってくれた2人。こんな心のきれいな人たちに、なんて意地悪なことを言ってしまったのかしら…と大反省。
「きつい言い方して、ごめんね~」と私も大謝りし、マンダレーの街頭で仲直りしたのでした。

当時のミャンマーは素朴そのもので、どこへ行っても親切にもてなして下さいました。
観光地の記憶はあまりなく、覚えているのはロンジーをはいて「タナカ」をホッペにこすりつけた人々のことや、托鉢の行列を成すお坊さんたちや、カレー味の素朴でおいしいローカル食のことばかり。(当時はレストランもあまりなかったのでしょう、バナナの葉っぱで出来たような屋根だけの場所で食事を取ることが多かったように思います)
そして、鬼のような私を仏に変えた(笑)、まるでアイドル時代の優ちゃんと秀美ちゃんのような可愛いミーミーちゃんとミャーミャーちゃんのことは、一生忘れられません。

きわめつけは、旅の最後。空港へ向かうバスの中でのことでした。
突然バスを停車させ、「ちょっと…」と姿を消したミーミー&ミャーミャーちゃん。
一体、何ごとかと心配していると、大量の米袋とお線香を持って戻ってくるではありませんか。
「コレ、お土産で~す」
と、3~4キロほども詰まった米袋ひとつづつ、ミャンマーの長くて太い線香数本ずつを全員に配ってくれました。

ミャンマーではお米が日本のような中粒米で、思っていたよりもずっとおいしくいただけたので、皆が「ミャンマーのお米はおいしいね~。日本へ持って帰りたいくらいだね~」とでも言ったのでしょう。
また、日本兵の墓へお参りに行った時、線香が大きく太いのを見て、これまた皆が「いい線香だね~。日本にもあるといいね~」とでも言ったのでしょう。
それを聞いて、しっかり覚えていた優しいミーミーちゃんとミャーミャーちゃん、ぜひとも日本へ持って帰ってください~、とお土産にくださったのでした…。

その優しい心遣いに感激し、皆が「ありがとう…」と受け取ると、最後に2人がもう一度、ビジット・ミャンマー・イヤーの歌を歌ってくれました。
空港で涙涙でお別れした後、大きな米袋と長い線香を持って途方に暮れる日本人十数名…。
もうスーツケースは詰めてしまったし、やっぱり抱えて飛行機に乗るんですかね~、そうですね~、それにしてもミャンマーの人は親切でしたね~、などとあやふやな会話をしながら、一同、お米と線香を手に帰国の途に着いたのでした。

あの時、「こんな重いものもらって…」と文句を言うお客様が一人もなかったのは、ミーミーちゃんとミャーミャーちゃんのおもてなしが真に心からのものであり、2人の純粋さに誰もが心を打たれたからでしょう。
ミーミー&ミャーミャー・マジックで、みんな、仏のような心になっていたのかもしれません。

その後も何度かミャンマーへ行くチャンスがあり、行くたび街が整備され、いろいろなことが便利になっていきました。
レストランもローカル食のバナナの葉っぱの屋根でなく、チャイニーズ・レストランへ行くことが多くなっていったように思います。
そして、現地ガイドの質も向上したようで、ミーミー&ミャーミャーちゃんよりも、もっとテキパキと仕事の出来るガイドさんが登場していました。

どの旅も楽しかったはずなのに、なぜかミャンマーといって思い出すのは、ミーミー&ミャーミャーちゃんと一緒に旅した1995年のあの時のことばかり。
良いことでも悪いことでも、人が心から正直に触れ合った場合、それは忘れられない経験として記憶されるようです。
私も彼女たちもまだ若くて経験が浅かったけれど、お客様に楽しい思いをしていただきたいとの気持ちは一緒で、格好悪いくらいに右往左往していたのでした。

現在ミャンマーで起こっている反軍事政権デモ、それに続く武力弾圧の様子が日々報道されるのを見て、楽しかったミャンマーの旅を思い出し、いたたまれない気持ちです。
ミーミーちゃん、ミャーミャーちゃん、その他私がミャンマーで出会った人々は、今どこでどうしていることでしょう。

今日のThe Irish Timesには、日本人ジャーナリストの長井健司さんがカメラを手にしたまま至近距離で射殺される瞬間の写真が載っていました。
長井さんや犠牲となったミャンマー人の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げると共に、一刻も早く平和で民主的な国となることを願ってやみません。

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アイルランド公認ナショナル・ツアーガイドの山下直子です。2000年よりアイルランド在住。趣味はサーフィン、アイススケート、バラ栽培、ホロスコープ読み、子供の頃からのライフワーク『赤毛のアン』研究。長野県上田市出身。

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