1998年、北アイルランド紛争の和平にイギリスとアイルランドが合意した「ベルファースト合意」から今年で25周年。
締結日が聖金曜日だったことから当地では「グッド・フライデー・アグリーメント(Good Friday Agreement)」(聖金曜日協定)と呼ばれますが、合意から25回目のグッド・フライデーを明後日に、そして、25回目の締結記念日の4月10日を来週に控え、TVのニュースや報道番組では当時を振り返る映像やインタビュー等が連日放送されています。
昨晩の「プライム・タイム」(RTEの報道番組)では、和平合意から25年経った今も撤去されることなく、ベルファーストの街に存続し続ける「ピース・ライン」(とは名ばかりで、実際にはイギリス系、アイルランド系居住区を分断する壁)のことや、和平合意の立役者となったビル・クリントン元米大統領夫妻へのインタビューが放送され、非常に興味深い内容でした。
クリントンさんは、この合意がブレグジットを生き延びたのは奇跡だ、と言ってましたが、その点アイルランドはよく立ち回り、フリーボーダー(入国審査や税関等でストップすることのないアイルランド島内の国境移動)を死守したと思います。
※参照→
Belfast walls divide wary Protestants and Catholics(RTE News)

ベルファースト市内に残るピース・ライン(Peace Line, Belfast)。北アイルランド紛争の激化に伴い、1969年より、対立する住民地域を隔てる名目で建てられた、名前とは正反対の「分断の壁」(2019年5月撮影)
ピース・ラインについては、2013年、北アイルランド政府が「今後10年間ですべての壁を取り払う」と宣言したにも関わらず、10年経った今も多くが撤去されていません。昨晩のプライム・タイムによると、現在もベルファーストやデリーに70~80か所のコミュニティーを隔てる物理的バリアが存在しているそう。
写真の壁は西ベルファースト地区に残るものですが、ほかの壁が撤去されても、過去の過ちを未来へ伝えるためにここだけは教育目的で残すことにしているという場所。(なので、ときどきペイントし直してきれいにしています)
でも、ここ以外にもまだまだたくさん残っていて、多くの住民にとって今も尚、物理的・心理的なセキュリティの役目を果たしていると言います。壁のない世界が理想だけれど、そこに暮らす人たちにとっては壁がないと安心できないというのが現実なのです。
和平合意が交わされ、紛争は止み、暴力は影を潜めましたが、壁はいまだなくなることなく、コミュニティーには分断が残ります。
暴力で命を失う人は減りましたが、ベルファーストは自殺率が世界でもっとも高い国のひとつで、かつて紛争が激しかった西ベルファースト地区に顕著だといいます。和平合意以降に生まれ育ち、紛争を直接的に経験していな若者が命を絶つ割合も増加しており、世代を超えて引き継がれる紛争のトラウマが原因との指摘も。
争いの代償はあまり大きく、和平合意は決してゴールではなく始まりだったのだと気づかされます。
ちなみに1998年という年は、私が初めてアイルランドの地を踏んだ年でもあります。あれから25年かあ…。
グッド・フライデー・アグリーメントの数ヶ月後のことで、デリーの町にはまだイギリス軍の装甲車が走っていたことを思い出します。
※参照
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‘Suicide is like an epidemic here in west Belfast; there’s about one a week’ (The Irish Times)
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Suicide deaths in Northern Ireland increase as one in every three was someone aged under 30 (Belfast Live)
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