アルムの山に来ています!(ハイジの舞台を訪ねて①)ハイジの村とアルムの山小屋、そしてシュピリの・散歩道へ(ハイジの舞台を訪ねて②)ハイジの泉、そして「山が燃えてる!」(ハイジの舞台を訪ねて③)…より続く。
「アルムの山」を降りて、マイエンフェルトの隣町バート・ラガーツ(Bad Ragaz)にやって来ました。
『ハイジ』の物語に「ラガーツ」または「ラガーツ温泉」の名でしばしば登場する温泉保養地。(当時の地名は「ラガーツ」でした。バートは「入浴」「風呂」の意味)
デーテおばさんがフランクフルトへ移る前に働いていたのはこの町のホテルでしたし、クララがアルムの山小屋で過ごす間、クララのおばあさまが滞在していたのもここでした。

「アルムの山」から約4キロ、列車やバスに乗るほどでもないので歩いて移動。途中、ライン川を渡りました!そうか、ライン川ってスイスが源流でしたね、ここは1200キロの長い旅のまだまだ始まり…
『ハイジ』を通して子どもの頃から聞き馴染んだラガーツ温泉。
クララのおばあさん気分で優雅に滞在するなら、温泉プール&スパ付きの5つ星の豪華ホテルかなあ、とも思いましたが、そういう贅沢は本当のおばあさんになってから…ということで(笑)、お隣りの敷地にたたずむもう少しお安くてこじんまりした古城ホテルへ。

1890年築城のホテル・シュロッス・ラガーツ(
Hotel Schloss Ragaz)。パナマ運河建設に従事したスイス人技術者コンラッド・ソンデレッガーさんの夏の邸宅として建てられ、彼の死後数十年してホテルになったそう。本館に比べてお部屋代がぐんとリーゾナブルな別館にいますが、キッチンとバルコニー付きで居心地抜群♪
『ハイジ』の作者ヨハンナ・シュピリも、病弱だった息子さんの療養のためにこの町に滞在したそうです。
シュピリは結婚後、うつ病をわずらったので、自分自身の療養でもあったのかもしれません。結婚してチューリッヒに移り住んだシュピリは、社会的地位の高い夫とともに上流階級の仲間入りをしますが、都会での暮らしや社交に馴染めませんでした。仕事ばかりの夫も助けにならず、まるでフランクフルトに連れて行かれたハイジのごとく心を病んでしまったのです。
そんなシュピリの心と身体を癒したであろうラガーツ温泉の水源、タミナ渓谷(
Taminaschlucht Valens)が街から5キロ程のところにあるというので、ハイキングを兼ねて行ってみました。

同じ道を往復するのもつまらないので、2つのハイキング・コースを合体させて遠回り。その昔、ローマ軍との交易路だったという「ポルタ・ロマーナ」を登ると、再びブドウ畑が一面に。心臓破りの急坂でしたが、振り返れば「アルムの山」がまた見えて嬉しい♪

丘の上の大きな建物は9世紀創立の旧ベネディクト会のプフェーファース修道院。現在は精神病院に

牧場の隅に、ホップの木が忽然と!この花のようなものがビールの苦味の原料ですよね。アイルランドには自生しないため、本物を見る機会が少ないので嬉しい。ギネスストアハウスに展示されているのは造り物なので・笑
とても暑い日で、おそらく日中の最高気温は30度近かったと思います。坂道を登って汗だく。
静かなプフェーファース(Pfäfers)の村に着き、地元のおじいちゃんたちが寄り集まっている村唯一のたまり場らしい小さなレストランでビールを一杯。ビール党でない上、普段は昼間に飲みたいと思うことはめったにないのですが、この暑さと、おそらくホップを見たせいで、つい(笑)。

「アイン・クライネ・ビア・ビッテ」と言ったらコレがきました(文法間違ってるかもですが・笑)。冷たくておいしい~

昔とった杵柄(←大学時代の第2外国語)でドイツ語のメニューをなんとか解読し、ホームメイドのおいしいチーズタルトにありつけました♪
それにしてもドイツ語…。学生時代に4年間もやったのに、今やとんと忘れてしまって最低限の会話しかできず情けない限り。しかも「グーテンターグ(こんにちは)」とか「アウフヴィ―ダ―ゼン(さようなら)」ってここでは誰も言ってなくて、挨拶は皆さん「グルッチ」(この地方の方言らしい)、別れるときはカジュアルに「チュース」って言う人がほとんど。
久しぶりにドイツ語圏に来たのだから…と頑張って、「イッヒ・ボーネ・イン・イルランド、アバー・イッヒ・ビン・ヤパーナリン(アイルランドに住んでいますが、日本人です)」とか言ってみるのですが、あまりにたどたどしいせいか、「ア~、ジャパニーズ!」とか英語で返されてしまったりして…。ドイツ語圏の皆さんは、簡単な英会話くらいは出来るんですよね。
この小さな村のレストランではさすがに英語が通じず、よ~し、ドイツ語のいい練習になるぞ~と意気込んでカタコト会話を頑張っていたところ、お会計になったら急に、21フランです、って親切にも英語で言われてがっくり。私、ドイツ語の数字だけはバッチリなのに!(大学のドイツ語のクラスで、授業の始まりに毎回100まで数えさせる先生がいたんです・笑)
お腹も満たされ、いよいよここからタミナ渓谷へ。途中で若干道に迷ったり、本当にここ下るの~というようなスゴイ谷間に出ちゃったりしながらも、色づく木々の美しさを愛でつつたどり着きました。

200メートルという深さの渓谷にかかるタミナ橋。スイス最大のアーチ型ブリッジだそう

谷に下り、川沿いに渓谷をしばらく歩くと、目指すオールド・バート・プフェーファース(旧プフェーファース温泉)が見えてきました。18世紀に建てられた温泉施設で、最盛期には一度に300人が宿泊したそう。今は博物館&レストラン、ここを経由して水源のある岩場にアクセスできます

一歩入るとひんやり。この岩の割れ目に遊歩道があり、その下を水が流れています。夜にライトアップのイベントが行われるとのことで、そのためのピンク色のライトがきれい
36.5℃の温泉水が、毎分8000リットルという勢いで湧き出しているのだそう。
1240年、プフェーファース修道院の2人の修道士が水源を発見したのが始まり。修道士たちは温泉水に治療効果があることを認め、病人を岩のくぼみに浸からせていたそうです。
1350年、そのくぼみに木製の浴場が建てられますが、アクセスするのが非常に困難で、はしごで下るか、それが怖い人は目隠しをされて籠に入って吊り降ろされたとか。一度温泉に入ったら10日間そこにいたと説明にありましたが、いちいち出てくるのが大変だったからでしょうか。

岩の割れ目を奥まで進むと、ブルーにライトアップされた洞窟のような古いトンネルが

1630年、木製のパイプで温泉水を渓谷から引き出すことに成功。そのおかげで旧プフェーファース温泉が建てられ、温泉水が施設へ供給されました。最初の木製パイプから時代を経て進化していったパイプの展示
1840年、4キロのパイプラインがラガーツの街までのび、ヨーロッパ初の屋内の大浴場(温泉プール)が完成。ラガーツ温泉の名が世界的に知られるようになります。
ヨーロッパにはハンガリーのブタペストとか、ドイツのバーデンバーデンといった歴史ある温泉地が各地にありますが、温泉水による公共の屋内プールが最初に出来たのはここバート・ラガーツだったんですね。ヨハンナ・シュピリがこの地を訪れた19世紀後半は、ヨーロッパで話題の最先端かつファッショナブルな温泉保養地だったのでしょう。

ラガーツ温泉を訪れた著名人たち。アンデルセン、ビクトル・ユーゴー、エジソン、トーマス・マンなどそうそうたる面々にまじって、シュピリの名もありました(下段左から2人目)
街へ戻り、ハイキングで疲れた足を癒しに早速、歴史ある大浴場へ。

1872年に完成した温泉プール、タミナ・テルメ(
Tamina Terme)。今年で150周年。今いる古城ホテルのすぐ隣りにあり、ホテルからバスローブ姿で行けちゃいます
外観はモダンに改装され、内部も増改築されているものの、メインのプールは150年前の写真と同じ形に保たれ、当時の面影をとどめていました。シュピリもこのここに入ったのかな。
水温は水源と同じ36.5℃ですが、これだと日本人にはぬるすぎ。温度の違う小さいプールがいくつかあったので、いちばん熱い39℃でゆっくりし、ときどき屋外プールへ遊びに出ました。
ちなみにホテルのシャワーのお湯もちょっぴりとろ~んとしているので、おそらく温泉水を引いているのでしょうね。

バート・ラガーツの街を流れるタミナ川。この景色、う~ん、別所温泉っぽい…(またまた故郷・信州上田ネタ・笑)
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