今日は、昨年5月より通訳として勤めた会社の最後の出勤日でした。
ダブリン郊外にある半導体製造工場の設営現場での仕事。当初半年の予定だったのが、もう半年、さらに半年…と延長になり、最後の数ヶ月はガイド業も復活して二足のわらじ状態に。ついに日本からの出張者の皆さんが引き上げることになり、私の仕事も終了となりました。
テクノロジーのテの字も知らない私に務まるか…とはじめは心配でしたが、同僚たちのサポートとお人柄に助けられ、初めてだらけの経験にいつしか心配より好奇心の方が勝るように(笑)。思いがけず、毎日楽しく通わせていただきました。

こんな立派な花束をいただき、まるで寿退社みたい!…と笑い泣き。これまでの人生でいただいた花束の中でいちばん大きいかも!カードの「We'll miss you!」のメッセージにウルウル(涙)
毎日現場でかぶったマイ・ヘルメットを記念にいただき、それを頭にのせたまま皆さんとお別れして、オフィスをあとにしました。
フリーランスで仕事をしてきた私にとって、決まった職場があって、同僚がいて、社食があって…ということだけで十分もの珍しかったのですが、半導体製造工場などという、いったいそこで何が行われているのかなど考えたこともなかった場所に立ち入り(クリーンルームなので、3点セットのクリーン服で全身を覆って!)、とてつもないテクノロジーが繰り広げられているのをの前で目撃する毎日にスリルを感じていました。
ベテランの技術者たちがいとも簡単に(…と、私には見える!)工具や機械を操るのを見ているのはなんとも小気味よく、専門知識ゼロの私でも感動の連続でした。
私自身は完全に文学・歴史・語学系の人間で、理数系・テクノロジー系にはまったく疎いのですが、思えば亡き父はコンピューター時代以前の技術者でした。当時は最先端だったという油圧の専門で、父の作業着はいつも油の匂いがしたものです。
父がしていたことと今回私がかかわった職場は扱っている内容も環境もまったく違いますが、あるとき、同僚たちが見ているiPad上の複雑な図面を目にして、子どもの頃の記憶がフラッシュバックしたことがあります。ああ、こういうもの、見覚えがある!…と。
それは、私たちが設計室と呼んでいた小部屋で、父が巨大なキャンバスに向かってルーラーを当てて描いていた機械の図面。いらなくなった大きな図面用紙は裏は白いままだったので、私のお絵描き用紙になっていたものです。
もし父が生きていたら、最先端のテクノロジーの現場に私がいることに興味を示し、自慢にさえ思ったかもしれないなあ、とそのとき思いました。
パンデミックでガイド業ゼロだった時期に舞い込んだ仕事。もしかして、天国の父が斡旋したくれたのかも?
もしそうだとしたら、パパ、テクノロジー系、私苦手なんだけど…とちょっと言いたいけれど、それでも父の斡旋はなかなかのものでした。私に未知の世界をのぞかせてくれたことだけでなく、素晴らしい同僚たちとめぐり合わせてくれたのですから。
毎日5時起きで、冬は真っ暗で、しかもはじめの半年間くらいは工場の建物自体がまだ建設中だったので、屋外の工事現場の足場を上り下りして現場に行くという過酷な環境だったにもかかわらず、日々楽しく出勤できたのは、ひとえに職場の温かい雰囲気のおかげでした。
アイルランド人、日本人、アメリカ人、イスラエル人、フィリピン人、南アフリカ人、リトアニア人…等々で構成されるグローバルなチーム。明るく楽しい人たちの集まりで、この一年半、職場の人間関係で嫌な思いをすることは一秒足りともなく、それどころか、皆の優しさや気遣いに触れて胸が熱くなることばかりでした。
ガイドの仕事のときもそうですが、良い人たちの中にいると、自分も良い人でいるのがたやすい。ああ、楽しかったなあ。皆さん、本当にありがとう。
この仕事をはじめてからの関連ブログ。
読み返すと、その時々の自分の気持ちや、楽しかった思い出がよみがえってきます。備忘録として、こちらにリンクを記しておきます。
【関連過去ブログ】
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428日ぶり…!(2021年5月)
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講習を受けた一日(2021年5月)
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パンデミックがもたらした新しいルーティン…(2021年6月)
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霧の朝から青空に…ちょっとしたつぶやきです(2021年8月)
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ギネスのビアガーデンにて、若い人たちと(2021年9月)
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今年もエルフになりました!…オフィスにて(2021年12月)
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仕事納めのひとときに…(2021年12月)
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巻き寿司を作ってポットラック・パーティーへ(2022年6月)
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コメント
Yama
油圧はあらゆる機械の根底にあるもの。お父上は(なぜかお父上というイメージ)その技術の専門家でいらしたのですね。大きな製図版の上に屈みこむように図面を描いていく、その手には烏口(からすぐち・ruling pen)があって。そんなお姿が目に浮かびます。
それ以前は細く削った鉛筆で描いた下書きを墨汁で線をなぞり仕上げていったのです。(知るかぎり戦後10年は。)
その後はAIの時代を迎えますが、どの時代も礎にあるのは身についた技術を表現し実行する力でした。こういう技術で、日本はあの高度成長期を支える製品を、それ以前のゼロ戦だの戦艦大和だのを作り出したのだと思うと、感慨深いものがあります。
線は「細さと厚さが0の図形」ですから、設計図を描く技術者はとても神経をすり減らしていたものでした。工場のなかでは作業着は正装。きっと子供ごころにご自慢のお父様だったのでしょう。
>完全に文学・歴史・語学系の人間で、理数系・テクノロジー系にはまったく疎い
同じです。私の夫も理数系のエンジニア。時に互いの感性の間に齟齬をきたすことがあって、この年齢になっても驚くことがあります。反面とても真摯で口数か少ないものの努力家。けれど融通が利かない頑固者。
ですから、さらに「融通が利いて+口数+ユーモアのセンス+思いやり」が足されたチームの皆さんと一緒の仕事は楽しかったことでしょう。この仕事を通して直子さんがひとまわり大きくなったような印象を受けます。(あ、年長だからと言って生意気ですね。でもうれしい)
2022/10/12 URL 編集
fairy
未知の世界でのお仕事お疲れ様でした。
直子さんの明るい前向きなお人柄は多くの皆さんに愛された事と思います。
我が夫も「スーパー理系」でして(笑)意思の疎通が?となるほど論理的で頑固であります。
彼の頭の中を覗いてみたいものです!
先日久しぶりの日本帰省から戻り夢の様な滞在でした。今回は日本の大学に留学する次女のお供でもありましたが。
留学先が直子さんの母校の様です!
心配をよそにすでに東京生活をエンジョイしている模様です。笑
若いって羨ましいです!
2022/10/12 URL 編集
naokoguide
ひと回り大きくなったのなら、この仕事をした甲斐がありました(笑)。
通訳といっても、専門的なことは分からないので、言葉や文化の繋ぎ役…といった感じの仕事でした。これまで出会った来たのと違う分野の人たちに出会えたことがいちばん財産です。
人生はおもしろいですね。それこそ、道の曲がり角にはどんなことが待っているかわかりません。
でも、私はなぜか、新しいことが起こったとき「そうなることになっていた」という気持ちになることが多いです。今回のことは、父のことと絡めて、とくにそういう気がしました。
職場の人たち、ほんとうに良い人たちばかりで、どの職場もこんなふうなわけはない、この会社がとくに素晴らしいに違いない、って毎日思っていました。本当にラッキーだったと思います!
2022/10/13 URL 編集
naokoguide
仕事の内容も、職場の人たちとの交流も、素晴らしい経験をさせていだきました。
コロナ禍にならなかったら、絶対行くことはなかった職場でした。そう考えると、人生何が幸いするかわかりません!
日本滞在楽しまれたとのこと、良かったです。
お嬢様の大学生活が楽しく充実したものになりますように!
こんな先輩でスミマセン(笑)
でも、私の大学生活も夢のように楽しく、たくさんの人に出会って今も友情が続いていますから、お嬢様も良い経験をされることでしょう。いいですね~、若いって!笑
2022/10/13 URL 編集