1954年、フランスで造られたバード・エディは、もともと「Ami Des Flots」号(波の友=Friend of the Wavesの意)の名でした。1970年、ドネゴールの漁師エディ・ギリスピー(Eddie Gillespie)さんが購入し、「カラ・ナ・マラ(Cara na Mara)」号(海の友=Friend of the Seaの意)とアイルランド語の名に改名。バンベグ港をホームとして漁船として活躍していましたが、数々の嵐でダメージを受け、1977年、修理のために港に留め置かれることに。 厚板2枚が修理される予定でしたがあいにく港が工事中で場所がなかったので、エンジンを取り除き近くのマヘラクロハー・ビーチへ牽引されたそうです。そして、どういうわけか修理は行われず、そのままビーチに置き去られ…。なんと45年もの月日が経ってしまった!というわけです。 ボートは地元の子供たちの格好の遊び場となり、海をバックにたたずむ姿はウェディング写真のメッカに。年々朽ちていく姿もそれなりに風情があり、多くの人々が見にくるようになりました。
このボートを一躍有名にしたのは、1985年、アイルランドを代表するロックバンドU2のボノと、日本でも有名な歌手エンヤのご家族で構成される地元出身の伝統音楽バンド、クラナドがコラボした『イン・ナ・ライフタイム(In a Lifetime)』という曲のミュージック・ビデオでした。 撮影はマヘラクロハー・ビーチと周辺で行われ、まだまだボートの原形を十分留めていた当時のバード・エディはもちろん、先日私も登ったドネゴールのシンボル、エリガル山も登場。かくいう私も、「ボノとクラナドのMVに出ているボートはどこですか」との問い合わせを受けて、このボートの存在を知りました。
このときの忘れられない記憶があります。あやふやなため自信がないのですが。 bunbegでの夕食をどこにしようかとTeac Campbellのスタッフに教えてもらったレストラン(記憶では単独レストランではなくホテルのレストランだったように思います)まで歩いていくと、「バード・エディ」が見えてきたのでさらに歩いて浜辺まで降りていきました。しばらくたって戻り、レストランに入ると浜辺を見渡せるガラス窓越しにも「バード・エディ」が小さく望めたと思います。着席したとき、なぜか初めてのような気がしませんでした。“In a Lifetime”が収録されている30年近く前に出たクラナドの国内版VHSにはモイア・ブレナンのインタビューシーンがあり、その背景がたしか浜辺のガラス窓のレストランのようでした。そのシーンがbunbegのレストランで蘇り、ひょっとしたら同じレストランではと思ったのでした。この晩は同行者ともどもかなり疲れていたので、ごちゃ混ぜの都合のいい記憶になっているかもしれません。しまい込んだままのVHSを引っ張り出してデータ化してもう一度見て確認しなくては。
アルタンに在籍したことのあるフィドラーPaul O'ShaughnessyとフルートのHarry BradleyのデュオCD“born for sport”のケース両面の写真にも「バード・エディ」が使われていました。
コメント
Mkwaju
このときの忘れられない記憶があります。あやふやなため自信がないのですが。
bunbegでの夕食をどこにしようかとTeac Campbellのスタッフに教えてもらったレストラン(記憶では単独レストランではなくホテルのレストランだったように思います)まで歩いていくと、「バード・エディ」が見えてきたのでさらに歩いて浜辺まで降りていきました。しばらくたって戻り、レストランに入ると浜辺を見渡せるガラス窓越しにも「バード・エディ」が小さく望めたと思います。着席したとき、なぜか初めてのような気がしませんでした。“In a Lifetime”が収録されている30年近く前に出たクラナドの国内版VHSにはモイア・ブレナンのインタビューシーンがあり、その背景がたしか浜辺のガラス窓のレストランのようでした。そのシーンがbunbegのレストランで蘇り、ひょっとしたら同じレストランではと思ったのでした。この晩は同行者ともどもかなり疲れていたので、ごちゃ混ぜの都合のいい記憶になっているかもしれません。しまい込んだままのVHSを引っ張り出してデータ化してもう一度見て確認しなくては。
アルタンに在籍したことのあるフィドラーPaul O'ShaughnessyとフルートのHarry BradleyのデュオCD“born for sport”のケース両面の写真にも「バード・エディ」が使われていました。
2022/09/18 URL 編集
naokoguide
そのレストランはご記憶の通りホテルで、ビーチを見晴らす高台にあるSea Viewという名のホテルかと思います。2016年にオークションで売りに出され、買い手がつかないまま今もそこにあります。窓ガラスが割れ、うらぶれた姿で、まるでお化け屋敷のような姿で郷愁を誘います…
ご参考までに、こちら売りに出されたときに新聞記事です。今は亡きベルファースト出身の往年のサッカー選手、ジョージ・ベストのお気に入りホテルだったそう。ホテルの写真もありますのでご記憶をつないでみてください↓
https://www.independent.ie/irish-news/yours-for-590000-32-bedroom-hotel-where-george-enjoyed-best-of-times-35244030.html
おそらくご覧になられたモーヤのインタビュー映像に映っている建物もコレでしょう。ビーチから見える大きな建物はほかにありませんから。
Mkwajuさんはこのホテルが華やかだったいい時代にいらっしゃいましたね。ここが今もホテルだったらぜひ宿泊してみたいです。
この夏行った時、ホテル廃墟の横に新しいロッジのような建物が出来ていました。もしかしたらホテルがよみがえる兆候か…と期待しているのですが…
2022/09/18 URL 編集
Mkwaju
グーグルマップをざっとみたところ、該当するものが見つからずあれは夢だったのかと思わないでもなかったのです。ご紹介の記事を読んでからフェイスブックでもよき日のレストランの写真、荒れたてた廃墟ホテルとなった現在の写真もみました。丘の上の夕刻の光に照らされて美しかったホテルに浜辺から歩いたうきうきした気分も思い出しました。ジョージ・ベストはボビー・チャールトンと並んで中学時代に「サッカーマガジン」の海外記事で最初に覚えた選手なのでとてもうれしかったです。
時の流れは残酷なものです。
ネット検索が充実した現在、はるか昔に泊まった海外のホテルの現在を確認することがあります。アイルランドだと1976年のダブリンのユースホステルは同じ場所にはもう存在しないようでした。うれしかったのは1993年に初めてのアイルランドレンタカーの旅で最初に泊まったベルファストのB&BのMaloneが改装拡大して素敵なtホテルになっていたことです。もし次の機会があればここにしてもいいなと思いました。
2022/09/19 URL 編集
naokoguide
でも、あれは夢だったのかも…というのも、なんだかいいですね。アイルランドだったら、とくにドネゴールだったら、そういうこともありそうだから(笑)。
旅の思い出って、その時、その瞬間の気持ちですよね。Mkwajuさんが美しい浜辺をウキウキして歩いたその気持ち、それが記憶の中で温められ、育っていき、今につながっていることがなんだかとても愛しいことに感じました。良い旅をされましたね、素晴らしいです。
前回のコメントでトーリー・アイランドへ行かれたとおっしゃっておられ、私も行きたくなりました。いつか行かなくては…と思い続けている未踏の島。トーリーには今、ウクライナからの避難民のご家族が2家族住んでいるのだそうです。本土の受け入れ先が限られてきて、あんなに遠い島まで!
BelfastのThe Malone、泊まったことがあります。とても素敵な居心地の良いホテルでした♪
2022/09/19 URL 編集