フォートワース滞在3日目、トリニティー・レイルウェイ・エクスプレス(TRF)という列車に乗って、
ダラス(Dallas)へ出かけてみました。
ここで私がどうしても見ておきたかったのが、第35代アメリカ合衆国大統領
ジョン・F・ケネディ(John Fitzgerald Kennedy, 1917.5.29-1963.11.22)の暗殺現場となった場所。
合衆国内に現在4000万人を超えると言われるアイリッシュ・アメリカンですが、歴代のアメリカ大統領にもアイルランド系が多く、ジョン・F・ケネディはその代表選手。ケネディ一家のストーリーはアイルランドのツアー中に必ずと言っていいほどお客様にお話しているので、私には馴染み深いトピックです。
曽祖父の代にカバン一つの貧しい身なりでアメリカに移民したケネディですが、祖父が酒造業で成功、父親は20代前半で銀行の頭取となり、さらに駐英国アメリカ大使にまで出世。息子を合衆国大統領に…と闘志を燃やします。
父親、そしてJFK本人はアイルランドに何度か里帰りしており、
JFKの最後のアイルランド訪問は銃弾に倒れるほんの4ヶ月前。アイルランド各地で熱狂的に迎えられたそうです。
ケネディ一家の出身地はアイルランド南西部ニューロス(New Ross)近郊。そこには今でも先祖の家が残されています。(プライベートなもので公開はされていません)
移民4代目でついに合衆国大統領を出したケネディ一族。
次期大統領選のキャンペーンでダラスのダウンタウンをパレード中だったジョン・F・ケネディ大統領は、
1963年11月22日、教科書倉庫として使用されていたこの建物6階の窓から狙撃されたとされています。

現在、その6階部分が
シックス・フロアー・ミュージアム(The Sixth Floor Musenum)として公開されており、パネル資料とビデオによる展示館。
解説テープを聴きながらじっくりと見学したのですが、これまで断片的に知っていたケネディ暗殺の一連の事柄が、
暗殺時の写真や証言を交えて非常にリアルに一続きによみがえってきて、大変深い博物館でした。
オズワルドの犯行現場とされる一角には、ダンボール箱などを積み重ねて当時の様子を再現。
その隣りの窓からはパレードのルートが見え、
大統領が銃弾に倒れた路上には×マークが付けられています。

のちほど外で撮影。3回撃たれたので3ヶ所にマークがあります
ケネディ暗殺の真相については言われている通り不可解な部分が多く、博物館の展示で事実関係を確認すればするほど疑問がわいてきて、
なんだかキツネにつままれたような気分…。
トルネードの予報も出ており、雨が降ったりやんだりの怪しい空模様でしたので、釈然としない気持ちのまま早めにダラスを出て、フォートワースに戻ってきました。
ケネディの生涯が
「栄光」と「悲劇」に包まれているとすれば、先祖の地アイルランドでは前者が、その舞台となったアメリカでは後者が印象付けられているように思います。
当人たちにとっては、貧しいアイルランド時代が「悲劇」、成功への階段を上がっていたアメリカ時代が「栄光」だったのでしょうけれど…なんとも皮肉な話です。
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