数週間前に、ダブリン国際文学フェスティバル(
International Literature Festival Dublin)の一環として行われるトーク・イベントに出演する日本人作家の通訳者求む、との依頼があり、私自身は結局その仕事には縁がなかったのですが、出演される作家さんは川上未映子さんとのことでした。
海外文学好きで、日本の、それも現代小説には疎い私は、恥ずかしながら川上さんのお名前さえも知らなかったのですが、調べてみると芥川賞受賞作家で、歌手で、俳優で…と、うらやましいほどの才能をお持ちで、ビジュアルも素敵な方。
川上さんの作品は英語やドイツ語にも翻訳されており、国際的にも大きな評価を得て今年のブッカー国際賞候補に。最近は、私も大・大・大好きなピーター・ラビットの新訳を手がけておられるとのことで、まさにアート界のスーパーウーマン…といった方であることを知りました。
その川上さんがダブリンにやって来て、アイルランド人作家と対談トークをするというのです。行ってみようかな、でも作品を読んだこともないし、読んでみたところで私の好きなタイプの小説じゃないかもしれない…。
などと、申込みを躊躇しているうちに日が過ぎてしまっていたのですが、週末に友人ディヴィッドとランチをしていたところ、本や映画に詳しい彼が「今、この本読んでるんだけど、知ってる?ジャパンのサリー・ルーニーみたいなスゴイ作家さんなんだよ!」と取り出した一冊が、なんと川上さんの著書『Breast and Eggs』でした。まるで計ったかような絶妙なタイミングにびっくり。
「この作家さん、ダブリンに来るよ!」、「おお、一緒に見に行こう!」とその場で話がまとまり、即チケットを購入。同時に『Breast and Eggs』の原書『夏物語』も電子書籍で購入し早速に読み始めたところ、自分でも驚くほどぐんぐんと引き込まれ、朝に夜にと読み続けてディヴィッドを追い越し、わずか3日間で完読してしまったのでした!
面白い。切ない。温かい。いろいろな感情が自分の中にわいてきて、この1冊を読んだだけでなんだか自分がとても情感豊かな人になったような気さえしました。
今や、夏子も、巻子も、緑子も、私の古くからの友達かのよう。物語の主人公を友達みたいに思えるって、私にとってはその本の世界が大好き!というサインなのです。
(夏子は主人公、巻子は夏子の姉、緑子は巻子の娘。小説に登場する架空の人たちです、念のため)
実は『夏物語』を数章読み進めたところで、これってしばらく前に脳科学者の茂木健一郎さんがYouTubeのレビューで大絶賛していた小説だ、と気がつきました。なぜ気づいたかというと、茂木さんがジェイムズ・ジョイスを思わせる、とおっしゃったからで、私もまさに同じ感想を抱いたから。
(茂木さんは『ダブリン市民』を挙げておられ、私が連想したのは『ユリシーズ』でしたが)
そんな経緯があって迎えた、昨晩の川上さん出演のイベント。ディヴィッドと連れ立ってフェスの会場となっているメリオン・スクエア(Merrion Sq., Dublin 2)へ行きました。

公園内に設けられたテントで作家さんたちのトークショーやワークショップが行われます。写真はイベント開始前でまだ人がいませんが、開始時刻が近づくにつれにぎやかに。ちなみに川上さんのイベントは夜8時からでしたが、5月のダブリンは夜10時近くまで明るいのです

フードトラックが出ていると聞いていたので、早めに行って野外でディナー。バーのベンチででピザ&ビールを

仮設の本屋さんもオープン。英語版の川上さんの著書がずらり
ディヴィッドと2人、ピザをもぐもぐしながら、これから起こることがいかにスゴイことかを話し合いました。
川上さんワールドにすっかり心酔したディヴィッドは、これってハルキ・ムラカミがダブリンに来るくらいスゴイことだよね、海外の著名な作家さんにダブリンで会えるなんてめったにないんだから、と興奮気味。
私はと言えば、自分が好きになった小説の作者に「生きて」会えることのスゴさを噛みしめていました。私が好きな小説は100年前、200年前に書かれたものばかりで、作者はもう生きていないことが普通。私の『赤毛のアン』好きをよく知るディヴィッドが、「アンの作者には会えないけれど、ミス・カワカミにはもうすぐ会えるね!」と気持ちを代弁してくれました。
イベントは司会者を通した対談形式で、川上さんと、ダブリン出身の作家ローナン・ヘション(Ronan Hession)さんが並んでトーク。お二人ともミュージシャン出身の作家という点で共通していることから、ご一緒の登壇となったようでした。
川上さんもローナンさんもお話し上手で、通訳のジョナサンもとても上手で、期待をはるかに上回る楽しさ。実に有意義なひとときでした。ちなみにジョナサンは知り合い。イッツ・ア・スモール・ワールド・イン・ダブリン!(笑)
(今思えば、ローナンさんの著書も読んで参加すればもっと楽しめたことでしょう。ご本人のトークを聞けたのも何かのご縁、これから読みます!)
壇上でお話される川上さんに、作品同様すっかりひきつけられてしまった私。なんとも素敵な雰囲気をまとった方で、静かな口調ながら力強い話し方。ときに夏子のようで、かと思うと巻子のようで、あ、でももっとお若い頃は緑子みたいだったのかなあ、なんて思ったり。ご本人は意図しておられないでしょうが、私には小説のキャラクターと重なって見えました。
『Breast and Eggs』、つまり『夏物語』はフェミニズム小説と呼ばれますが、アンチナタリズム(反出生主義)の哲学をも含んでいるんです、とのお話にフムフムと共感したり、読者は女性ばかりでなく50歳以上の男性も多いんです、と聞いて、えぇ~と驚きつつも、やはり幅広い層に支持される、普遍的な小説なんだなあ、と思ったり。
何の話の流れだったか忘れましたが、「シュレディンガーの猫」が引用され、うわ~、つながってる!と嬉しい驚きを感じたり。
シュレディンガー(Erwin Schrödinger、1887-1961)はオーストリア出身の物理学者ですが、第2次大戦中はアイルランドに亡命しダブリンに暮らしていました。川上さんが彼の名を出したのはそれを知ってか知らずしてかわかりませんが、ここでシュレディンガーが出てくるるなんてダブリンっ子は大喜び、私も大喜び、川上さん、さすが♪と、ひとりほくそ笑んだのでした。
会場からの質問に答えて下さる中で、小説の中の大阪弁が英語版ではどう訳されているのだろう、という私の疑問も解決されました。英語版を読んでいるディヴィッドが方言はないようだ、と言っていましたがその通りで、大阪弁を違う英語にすることはあえてしなかったのとのこと。
これについては10年かけて試行錯誤し、マンチェスター訛りにしてはどうか、なんてアイデアもあったそうですが、結局、言葉の違いが重要なのではなく、根底にある「大阪の文化」が伝わればよい、英語の違いではなくストーリーに織り込まれたカルチャーから分かってもらおう、とことになったのだそうです。
う~ん、なるほど。言葉の力を真に知っている人の答えだなあ、と、なんだかすうっと腑に落ちた気がしたのでした。

次はこれを読みたい!と思って購入した『All the Lovers in the Night』、原題は『すべて真夜中の恋人たち』。川上さん曰く、普通では小説の主人公に成り得ないような冴えない女性が主人公なのだとか。どんなに素敵に見える人にもその「冴えない」部分は必ずあるものだから…とのこと。読むのが楽しみです
終了後のサイン会で、川上さんとちょっとお話が出来ました。購入したばかりの本を手に並んでいたら、大好きなアイドル歌手に会いに来た高校生みたいな気持ちになってきて、いざ自分の番が来て川上さんと対面したら心臓がドキドキしてしまいました(笑)。
ダブリンの滞在を楽しまれ、ジェイムズ・ジョイスゆかりの場所へも足を運ばれたとのこと。ああ、やっぱり、川上さんジョイスがお好きだったのね、と嬉しくなりました。
ディヴィッドは『Breast and Eggs』を差し出して「僕は50歳未満です!」と言って川上さんに笑ってもらえたので、「僕のジョークが通じたよ~」とこれまたとても嬉しそうでした。

今やすっかり友達気分の「夏子さん」のそれから...を知りたいのでぜひ書いてください!と厚かましくもお願いしてしまった私。大好きな小説の続編を書かずに天国に行ってしまった作家さんがたくさんいて、続きはもう絶対にわからないんだなあ、と残念に思うことが多いので、生きている作家さんを目の前にしたらついそう言ってしまった!いつか書いてくださるといいなあ~
ブッカー国際賞の発表は明日。川上さんの『ヘヴン(Heaven)』が選ばれたら、日本人初の快挙となりますね!
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コメント
hikaru
多彩で美人な方はいらっしゃると思いますが、
川上さんは人間の根っこの部分がとても美しい方だと感じます。
『ヘヴン』しか読んでいないのですが、
いろいろな場で書かれている文章を拝見してそう思います。
私は「信用できる人」が好きになる大きな判断基準なので、
川上さんは大好きです。ブッカー賞、取れたらすごい。
多和田葉子、桐野夏生と日本の女性作家が海外で読まれるのは嬉しい限り。
万人の心に刺さる表現をされているからか、と素人は推測。
余談ですが、『夏物語』がBreast and Eggsと訳されたのは面白い。
芥川賞受賞作がそのものずばりの『乳と卵』で、
登場人物が同じだからこの英訳になったのかな。
2022/05/26 URL 編集
naokoguide
そうですね、私も実際にお会いして、にじみ出る川上さんのお人柄も好きになります。
『ヘヴン』も順次読んでみようと思います。残念ながらブッカー国際賞は別の方が受賞されましたが、ショートリストになったことだけでも十分素晴らしいですよね。きっとこの先、受賞されることでしょう。
『夏物語』は第一部は『乳と卵』(修正加筆版)、第2部が夏子のその後。『乳と卵』をそっくり含んでいて、そこから発生して第2部が出来たので、オリジナルのタイトルを踏襲して『Bread and Eggs』にした…といったことを、川上さんについて検索してあれこれ記事を読んだりしていたときに、何かの媒体で読んだか聞いたかしました。
2022/05/27 URL 編集
hikaru
なるほど、そういうことなんですね。
教えていただいて感謝です、ありがとうございました!
2022/05/28 URL 編集