このところ、子どもの頃や10代の時に読んだ本を多く読み返しています。
ドッジの『銀のスケート』(→
『銀のスケート』とスケート大会)、ポール・ギャリコの『雪のひとひら』や『ジェニィ』、モンゴメリの「エミリー」3部作、いぬいとみこさん作『木かげの家の小人たち』、レイ・ブラッドベリの『たんぽぽのお酒』…。
今や海外にいても欲しければ日本の書籍がアマゾン等で購入できますし(送料が高いので年に1~2度まとめて購入!)、電子書籍で読めるものも増えたので、以前に比べてアクセスが容易になりありがたい限りです。
先日夢中で読みふけった懐かしの一冊は、フィリパ・ピアス作の『トムは真夜中の庭で(Tom's Midnight Garden)』でした。
20世紀イギリス児童文学の金字塔とも称される名作。イギリスではBBCによる3度のドラマ化に加え、映画化、舞台化もされている、子どもの本の領域を越えた人気の物語です。

岩波少年文庫の電子書籍で読みました。昔、学校の図書館で借りて読んだのはハードカバーで、表紙の絵は原画のままの同じ絵でしたが、背景がもっと暗くて怪奇小説のような印象だった!(写真は
Amazonサイトより転載)
以前から再読したいと思っていた一作でしたが、今回手に取ったきっかけは、
昨年、アイルランドのソングブック『緑の国の物語』をご出版されますますご活躍の、歌手・ハープ奏者の
奈加靖子さんが、この作品にアイルランドの民謡「モリー・マローン(Molly Malone)」が登場している!と教えてくださったからでした。
『トムは真夜中の庭で』(以下、『トム…』)は、はしかにかかった弟から隔離されるべく、夏休みに親戚のおじさん、おばさんの家へ預けられた少年トムが、古時計が夜中の13時を打つのを聞いて、時を越えた不思議な庭へと迷い込んでしまうというお話。
そこではトムは見える人にしか見えず、僕って幽霊なの?、それとも、庭で出会った少女ハティが幽霊なの?…と思い悩むのですが、そんな時にハティが口ずさむのが、「
「うつくしきマリイ・マローン」 という民謡の、いちばん最後のところ」でした。
彼女の幽霊は手押車をおしながら
ひろい通り、せまい通りを声高く売りあるく
ええ、トリガイにヌマガイ
生きのいいやつはいかが!生きのいいやつはいかが!
ハティは声をひそめて、その折かえしをくりかえした。……「生きのいいやつはいかが!生きのいいやつはいかが!」(斜線の引用箇所はいずれも、『トムは真夜中の庭で』フィリパ・ ピアス著/高杉一郎訳、岩波少年文庫、第13章より)

ダブリン市街地にある有名なモリー・マローン像(Molly Malone Statue, Suffolk Street, Dublin 2)。1988年、ダブリン市政100周年記念事業の一貫として建立されたもの。歌によれば、その昔、ダブリンで手押し車を引いて魚売りをしていた可愛らしいモリー・マローンという女性がいて、親の代からの魚売りで、熱病で死んだが幽霊となり今も街を徘徊している…そう!(写真はパブリックドメイン)
イン・ダブリンズ・フェア・シティ~♪
ウェア・ザ・ガールズ・アー・ソー・プリティ~♪
…で始まる、ダブリンの人なら誰もが口ずさむことの出来る元気いっぱいの愛唱歌ですが、最後は死んで幽霊になってしまうというシュールな歌詞に初めて聞いたときには驚いたものです。
ハティが繰り返し歌う「生きのいいやつはいかが!」は、歌の1~3番に共通のリフレインで、アイリッシュパブで行われるショーなどではお客さんも一緒になって「ア~ライヴ、アライヴ、オ~♪」とこの部分を大合唱して盛り上がります。
『トム…』は1958年発表ですが、ハティがこの歌を口ずさんだのは19世紀後半と考えられます。実際にこの歌がイギリスで流行したのはまさにそんな頃でした。
モリー・マローンが実在したかは定かではないものの、起源は17世紀とされ、当時のダブリンには魚売りで生計を立てる貧しくも威勢のいい幾多の「モリー・マローン」がいたことは確か。
ちなみに銅像のモリーの胸元がかなりはだけているのが気になりますが、2022年の今見てもそう思うくらいですから、1988年、この銅像が建立されたときの今よりずっと保守的だったダブリンではかなりのスキャンダルだったよう。ダブリン市に苦情が相次ぎ、市や識者が苦し紛れに弁明したことには、「当時の女性は公の場で子どもに授乳していたので、胸元はこんなふうにはだけているのが当たり前だった」とか、「貧しい女性は貴族のお下がりのドレスを着ていたため、サイズが合っていなかった」等々。
「モリー・マローン」は、アイルランドの歌の伝道師である奈加さんにとって、それこそコンサートで何十回、何百回となく繰り返し歌ってきた18番のひとつでしょう。
先月、名古屋の「トムの庭」という本屋&カフェでコンサートをされるにあたり、店の名の由来である『トム…』の物語を読んでみたという奈加さん。(お店の方の気持ちに寄り添い、事前にちゃんと読まれるところが素晴らしい。奈加さんは、私が過去にオンライン講座などでご紹介した本もいつも読んでくださっていました♪)
そこに思いがけず「モリー・マローン」が登場したので、「これは運命!?…そこの場所で歌うことは初めから決まっていたような…」と
3月20日のブログに綴っておられるのを拝見し、私も奈加さんとモリー・マローンに導かれるかのようにして、懐かしいトムの庭の物語をかれこれ30数年ぶりに再読したのでした。
実はこの作品を初めて読んだ時、イマイチ夢中になりきれなかった…という苦い思い出があります。
きっと、読むタイミングが合っていなかったのでしょう。当時私は中学生か高校生で、完全に子どもでもなければ大人でもなかった。もしも小学生の頃に読んでいたら、トムと一緒になって13時の庭で楽しく遊べたのでしょうが、その年齢を過ぎてしまって、ファンタジーへの反抗期みたいなものに差し掛かっていたのではないかと思います。
10代の半ば頃、どういうわけか、それまですんなり入り込めた「カーテンの向こう側」の世界へ行きにくくなったと感じる数年間がありました。『トム…』を読んだのはちょうどそんな時期で、今となってはこんなに面白い物語なのにどうして…と不思議でならないのですが、その時は私だけ真夜中の庭に行くことが出来ず、ぽつんと取り残されたような気持ちを抱えながら読み進めていたものです。
もしももうちょっと大人になっていたら、一見子どもの物語と見せかけて、その実、「時」への深い考察や人生哲学を偲ばせたこの作品の醍醐味を味わうことが出来たでしょうが、それには今回の再読まで30数年も待たなければなりませんでした!
「時」とは不思議なもので、まさにそれこそが物語の大きなテーマなのですが、私自身が長い年月をかけてやっとトムの物語に追いついた気分。
今回、トムやハティと心躍る冒険が出来たばかりか、物語に散りばめられた文学やカルチャーからもさまざまなインスピレーションを得ました。「モリー・マローン」の歌、聖書の「カインとアベル」(ジェフリー・アーチャーの「ケインとアベル」を久しぶりに読みたくなった!)、アイルランド生まれのウェリントン公爵が初めてズボンをはいた人であるという都市伝説、モンゴメリも好きだった『アルハンブラ物語』の作者ワシントン・アーヴィングの別作品『スケッチ・ブック』、そしてやはりここでもスケート旅のエピソードが出ててきたではありませんか!(こういうことは、まったく記憶にありませんでした!)
1895年の冬、イングランドを大寒波が襲い、川や湖が凍結し、移動手段もかねて誰もがスケートをしたという史実に基づくエピソード。ハティの
トム、スケートって、なんていいんでしょう。 もし世界じゅうに氷がはっているなら、わたし、世界のはてまでもすべっていけるよう な気がするわ。というセリフに、この冬すっかりスケートに夢中になり、
フィンランドの湖にまで滑りに行ってしまった私は、その気持ち、わかるわ~、と深くうなずいたのでした。(笑)
それにしても、昔の文学作品にはスケートのシーンが多いことに今さらながら気づかされます。『若草物語』ではジョーとローリーにくっついてスケートに行った小さなエイミーが氷が割れて湖に落ちるシーンがありましたし、先日再読したモンゴメリの『エミリー』(または『可愛いエミリー』)やその続編の『エミリーはのぼる』でも冬になるとよくスケートをしていました。
トムの物語は、読み進めるにつれて小さな伏線が少しづつつながり、クライマックスに向けてタネ明かしされていきます。昔読んだときのおぼろげな記憶があるにもかかわらず、最後の1~2章は読み終わってしまうのがもったいなくて、わざとゆっくり読んだほどでした。
「時を永遠ととりかえる」ことが出来なかった失望感が、「かわらないものなんて、なにひとつないものね。わたしたちの思い出のほかには」といったおばあさんのセリフで埋め合わせられるところなど、実に味わい深く、秀逸。
心に残る物語があるとすぐにその舞台に聖地巡礼したくなる私は、早速に物語に出て来るイングランドのイーリーの大聖堂や、ケンブリッジ郊外にあるという作者フィリパ・ピアスの生まれ故郷グレート・シェルフォドへ行ってみたくなり(作者が生まれ育った家の庭がトムの真夜中の庭のモデル。残念ながら今は残っていないようですが)、早速に机上旅行から始めたのでした。
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コメント
hikaru
「これだ!」というタイミングで出会った本や映画は、
一生、言葉では言い表せない感動が生き続けるものですね。
11歳や15歳の自分の感受性には一目おかざるを得ませんが、
その時の気持ちはいまでもはっきりとよみがえる。
そういう出会いを持てたことは幸せです。
(60代になると、ますます小さい頃の感激体験がリアルに息づいてくるのです 笑)
2022/04/11 URL 編集
naokoguide
本はかけがいのない友達ですよね。開ければいつもそこにいて、同じストーリーなのに同じことは決してなく、その時々の自分の心象風景を映し出して見せてくれるような気さえします。
中学生くらいの頃、地方の大きいとは言えない町だったのに、翻訳小説を豊富にそろえている本屋さんがありました。そこに入り浸っては本の背表紙を眺めていると、これだ!とタイトルが浮かびあがってくる本があったものです。ポール・ギャリコの「ジェニィ」、ブラッドベリの「たんぽぽのお酒」などがそういった一冊でした。
誰に勧められたわけでもなく、作者のことも物語の内容も何も知らないのに、今私はこれを読むのだ、ということが分かる本。あの感性や直感はなんだったんだろう、と不思議に思います。
子どもの頃に読み逃した児童書、名作も多くあって、これから出会うことになっているのかな…とそれも楽しみです♪
2022/04/11 URL 編集