アイルランドの独立から100年が経ち、昨年から今年にかけて歴史的出来事のセンテナリー(100周年)が続いています。
新型コロナもいよいよ収束を見せ始め、2023年のアイルランドは、国としても個人の暮らしにとっても節目の年であるような実感です。
先日、
英愛条約から100年の記念展のことを書いたブログ でもお話しましたが、アイルランドの独立は、北アイルランドを切り離すという犠牲を払うことで実現しました。
陸の孤島さながらの「アイルランドの中のイギリス」で、イギリス系(プロテスタント系)住民とアイルランド系(カトリック系)住民の軋轢が激化し、北アイルランド紛争(1968年頃~1998年)という武力闘争に発展したことは周知のとおり。
アイルランド独立からの100年の歩みを時系列で振り返るとき、それがちょうど真ん中あたりにあることに気づかされたのが、先日のデリー/ロンドンデリー(Derry/Londonderry, Northern Ireland)の「血の日曜日事件(Bloody Sunday)」の50周年でした。
1972年1月30日、公民権の不平等に抗議するカトリック系住民のデモに対してイギリス軍が発砲し、14名(うち一人は当日の負傷がもとで後日死亡)が殺害された事件。
目の前で家族や友人を殺された若者たちは、事件後まもなく列をなしてIRAに入隊。北アイルランド紛争を激化させることになったばかりか、デリーの町に次世代にまで続く怒りと悲しみを据え付けた、許しがたい事件です。
事件は当初、イギリス当局により正当化され、長い間公平な調査が行われませんでした。1988年、和平交渉が進む中でやっと調査委員会が設置され、事件から38年経過した2010年、キャメロン英首相が正式な謝罪をするに至りましたが、当時の英兵士たちの追訴は頓挫したまま。50年経った今も解決していません。
50周年の1月30日当日、デリーでは遺族たちが50年前のデモと同じコースを歩くなどして追悼を行いました。
→
President Higgins pays tribute to Bloody Sunday victims (RTE News)
事件が起こったデリーのカトリック系住民の居住区であるボグサイド(Bogside)には当時の様子が描かれたミューラル(壁画)が。同じ通りに犠牲者の慰霊碑もあります(Photo by
Fáilte Ireland and Tourism Ireland )
この事件はのちに「血の日曜日事件(Bloody Sunday)」と呼ばれ、1983年、U2が「Sunday Bloody Sunday(サンデー・ブラディ・サンデー)」と歌い、より多くの関心を集めました。
今やU2の代表曲ともされる曲ですが、1月30日、ボノとエッジが50周年の追悼バージョン動画を公開しています。
VIDEO 若き日のボノが歌うオリジナル・バージョンもいいけれど、歳を重ねたボノが悲しみや怒りを絞り出すかのように歌い上げる、こちらの新バージョンは特別ですね。
あの頃の怒りや悲しみが、より深い焦燥感に昇華したかのよう。「How long must we sing this song?(この歌をいつまで歌い続けなくちゃならないんだ?)」という歌詞が心にぐさっと刺さり、動画の後半で当時の映像が出てきたときには、思わず涙してしまいました。
ちなみに、1983年のライブ・バージョンはこちら。ボノ、若い!↓
VIDEO この曲は、事件当日を克明につづった映画「
ブラディ・サンデー (Bloody Sunday)」(2002)のエンドロールに流れたのが、個人的には印象に残っています。上記の動画とはまた違った感じのライブ・バージョンだったように記憶しています。
映画「ブラディ・サンデー」は北アイルランド出身の俳優ジェイムズ・ネズビット主演。まるでドキュメンタリー映像かと思うほどの臨場感で描かれいて、事件の全様が非常によく理解できてお勧めです。
(日本では劇場未公開ですがアマゾンプライムなどで日本語字幕付きで配信されています)
ちなみにここ数日、北アイルランドの自治政府首相のわずか8ヶ月での辞任劇がニュースのヘッドラインとなっています。
北アイルランド自治政府は、イギリスに帰属することを望むユニオニストと、アイルランドとの統一を目指すナショナリストが首相と副首相を分け合うパワーシェアリングで、辞任したポール・ギヴァン(Paul Givan)首相はユニオニスト政党のDUP(民主統一党)所属。DUPは、イギリスのEU離脱でアイルランド島内に物理的な国境を復活させないための措置として、通商上の国境がアイリッシュ海に引かれたことに不満を表してきました。
それが解消されないから辞任します、というわけですが、それに伴い、イギリス本島との間で行われる税関チェックも停止。ここ2~3日北アイルランドへの輸送が滞ってしまっている状態です。
昨年、北アイルランドでロイヤリスト(ユニオニストの中でも民兵組織に関与する強硬派)の暴動が続いたことがありましたが、北アイルランドのユニオニストたちはブレグジットにより「イギリス本島から切り離された」と感じてしまっています。
しかし、政治家が対話をあきらめて一方的な態度を示すことは、なんの解決にもなりません。
【過去ブログ参照】
→
北アイルランド問題、やっぱりイギリス人のままでいたいユニオニストの気持ち (2021年3月)
→
北アイルランドで続く、若者たちの「理由なき」暴動 (2021年4月)
紛争からブレグジット…と北アイルランドの問題は本当に終わりが見えない。
悲しいかな、ボノはまだまだこの歌を歌い続けなくてならないかもしれません…。
関連記事
コメント
sima-s
私も、新バージョン動画見て、当時の映像見て、涙が出ました。
朝日新聞にも、「血の日曜日事件50周年」の記事が出されていて、やはりU2のこの曲に言及されていました。「本当にいつまでこの歌は歌われるのか」と。
遺族の悲しみ、悔しさは、50年経っても癒されてはいないのですね。
「目の前で家族や友人を殺された若者たちは、事件後間もなく列をなして」IRAに加わったと。そうなるのも当然ですが、暴力の連鎖ですね。
「ブラッディ・サンデー」の歌詞の中に「しかし僕はバトル(報復)の呼び声には耳をかさない、それは僕を壁際に追い詰める」という箇所もあります。
「クラン・ナ・ゲール(1867年組織されたアイルランド系米国人の組織。当時IRBを支援していた)は1881年から1887年に英国の都市で「ダイナマイト・キャンペーン」という爆弾攻撃をしかけ、英国議会などを破壊した。この一連の事件が引き起こした『恐怖』を考慮しなければ、1880年代の英国政府のアイルランド政策は理解できない。」(「アイルランドを知るための70章 明石書店」)
実は、2017年にNHKで放映された「世界タクシー ダブリン編」を、最近初めて視聴しました。ナオコさまがコーディネーターでした。
その中で、年配のタクシードライバーが「この事件が起きたとき、ダブリンの当時のイギリス大使館前を、大勢が抗議の行進を行った。許せなかった。」と語っていたのが、強い印象を残しました。
また、別の若いドライバーがU2の曲を車内でかけてくれて、その中の「Bloody Sunday」の「No more! No more!」「(俺たちはあそこには戻らない)もう2度と!もう2度と!」と訳されていたのが、秀逸だと思いました。
2022/02/07 URL 編集
sima-s
ナオコさまの記事で知り、今日初めて映画「Bloody Sunday」見ました。本当にドキュメンタリーのようで、衝撃を受けました。アイルランド側の人たちの怒り、慟哭もさることながら、イギリス軍兵士たちの中にも「非武装の市民を撃つなんて!」という良心的な人もいて、彼が最後の方で「命令違反はなかった」と偽証せざるを得なかったときの、無表情の下の苦しみも伝わってきて、やりきれない気持ちになりました。
2022/02/07 URL 編集
naokoguide
そして地球タクシーご覧くださったんですね。そういえば、ドライバーのひとりGrahamが大のU2ファンで、この曲を流しながらドライブしてくれたなあ、と思い出しました。
あの年配のドライバーさんのことも懐かしいです。TVでは放送出来ないような話をたくさん聞かせてくれました(笑)。
デリーの問題は根が深いです。暴力で報復することが正しくないと感じていても、コミュニティーが密で仲間意識が強いがために、それを言うと今度は自分の家族が報復の報復を受けてしまう…といった事情も。そのあたりを取材して伝えていたのが、ライラ・マッキーさんでした。
http://naokoguide.com/blog-entry-2965.html
「ブラディ・サンデー」の映画、私も久しぶりに見直そうと思います。
北アイルランド問題は知れば知るほど、犠牲者はもちろん、加害者も時代と政治の犠牲者であったことが浮き彫りになりますよね。
2022/02/07 URL 編集