先日スケートをしに行ったコーク郊外のフォタ・アイランドは、タイタニック号の最後の寄港地として知られるコーヴ(Cobh, Co. Cork)へ車でほんの10分ほどの距離。
せっかくなのでコーヴへも足をのばし、久しぶりに町の名所散策&ランチを楽しみました。

高台にそびえるコーヴのシンボル、聖コルマン大聖堂(
St Colman's Cathedral)。1868年に建設が始められましたが、資金不足などの理由から完成にこぎつけたのは半世紀後の1919年。高さ94メートルの尖塔は、教会の塔としてはアイルランド一の高さです(リマリックの聖ジョン教会の塔がいちばん高いと言われていましたが、近年測定し直したところ考えられていたより10メートル低かったことがわかり、コーヴがいちばんになりました)
かつてはお客様をご案内して頻繁に来ていたコーヴの町ですが、最後に来たのはパンデミック前の2019年秋だと思いますので、2年半ぶりでしょうか。
見どころが港周辺の徒歩圏内のエリアに集中しているので、短時間の散策にも便利。初めて訪れるという友人と一緒に名所めぐりをしました。
まずはコーヴに来たら必ず私が会いに行く、この方にご挨拶を。

1891年12月20日、2人の弟を連れてこの港からニューヨークへ行の客船ネヴァダ号に乗り、故郷をあとにしたアニー・ムーアさんの像。ショーン・ケーン(Sean Keane)やケルティック・ウーマン(Celtic Woman)が歌う「Isle of Hope, Isle of Tears(希望の島、涙の島)」で、「1892年1月1日、エリス島の移民局開局、アニー・ムーアは15歳…飢餓の島、空腹の島は二度と見ることはないけれど、故郷の島はいつも心に…」と歌われている、ニューヨークのエリス島の移民局開局のその日にいちばん最初に通過したアイルランド人の少女。彼女のストーリーはアイルランド移民の象徴として今も尚、語り継がれています
【アニー・ムーアに関する過去ブログ】(いずれも古い日記で恐縮ですが)
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エリス島の移民第一号、アニー・ムーア(2007年11月)
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コカリナが奏でるアイルランドの歌「涙と希望の村」 by 黒坂黒太郎さん(2013年2月)
アニー・ムーア像のすぐ脇には、かつての駅舎を改装したコーヴ・ヘリテージ・センター(
Cobh Heritage Centre)があります。この日は見学しませんでしたが、カフェやお土産屋さんのほか、「ザ・クィーンズタウン・ストーリー(The Queenstown Story)」という展示(有料)があり、お勧め。
アイルランド独立以前はクィーンズタウンと呼ばれていたコーヴの歴史や、アニー・ムーアさんを含む移民の歴史がよくわかります。
タイタニック・メモリアル・ガーデン(Titanic Memorial Garden)と名付けられた海沿いの公園の脇を歩き、町の中心へ。

小さな広場の中央に立つのは、ルシタニア号の慰霊碑。タイタニック号ゆかりの町として知られるコーヴですが、町の人々が直接関わった海難事故は、第一大戦中の1915年5月7日、コ―ヴの沖15キロ先で起こった客船ルシタニア号の悲劇でした。ドイツの潜水艦U‐20による魚雷攻撃を受けて沈没、乗客に多くのアメリカ人がいたことからアメリカ国内でドイツに対する世論が悪化し、アメリカの参戦をうながした事件でもあります。アイルランド海軍により救助された人々は沈没現場から40キロ東のこのコ―ヴ港に引き上げられ、回収された遺体はコーヴのオールドチャーチ墓地に埋葬されました
【ルシタニア号に関する過去ブログ】
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ルシタニア号の悲劇から100年(コ―ヴ)(2015年5月)
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『アンの娘リラ』とアイルランド④ ルシタニア号の悲劇(2020年6月)

そしてこちらがタイタニック号の慰霊碑(1998年7月に設置)。北アイルランドのベルファーストで造船されたタイタニック号は、イギリスのサザンプトンを出港してフランスのシェルブールに寄港後、1912年4月11日、コーヴ(当時はクィーンズタウン)港に入港。ここで乗客123人(多くがアメリカへ移民する3等客船の乗客たち)を乗せニューヨークを目指しました。円形のプレートには、この後の悲劇をまだ知らぬ乗客たちがテンダーボートに乗って沖に停泊するタイタニック号に向かうシーンが描かれています
コーヴを最後の寄港地として、その3日半後の1912年4月15日未明に大西洋沖に沈んだタイタニック号。乗客&乗組員2207名のうち生存者はたったの705名という、前代未聞の海難事故となったことは周知の通りです。
ちなみにディカプリオ主演の映画では船はコーヴ港に接岸したように描かれていましたが、実際には慰霊碑のプレートにあるように沖に停泊し、当時「動くもの中で世界でいちばん巨大」と言われたタイタニック号をひと目見んと港に集ったたくさん人々に見送られました。
【タイタニック号とコーヴに関する過去ブログ】
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タイタニック号の最後の寄港地コーヴ(2006年11月)
(今から15年前の写真を現在のものと見比べると、町の色がずい分明るく変わっていますね)

港前のアイスクリーム屋さん。このショップはタイタニック号が来た時に出ていた屋台で、当時は移動式だったとか。長い間、うらぶれた姿でしたが、可愛らしい色使いのショップとして近年生まれ変わりました

こちらがタイタニック号を所有していたホワイト・スター・ライン社のオフィスだった建物。現在はタイタニック・エクスペリエンス・コーヴ(
Titanic Experience Cobh)という博物館、そしてバー・レストランとして営業

埠頭の先端へ行くと、この建物の裏手に今にも朽ち果てんばかりの木造の古い桟橋が見えます。タイタニック号に乗り込んだ乗客が最後にその足跡を残した場所で、当時のままに保存されています。ホワイト・スター・ライン社のオフィスで乗船受付を済ませ、この桟橋からテンダー・ボートに乗り込んだんですね
この近くに、コーヴ生まれのオリンピアン、陸上選手のソーニャ・オサリヴァン(Sonia O'Sullivan)の等身大の銅像があります。2015年に設置された、コーヴに数あるモニュメントの中ではまだ新しいもののひとつ。

2000年シドニー・オリンピックの女子5000メートルで銀メダルを獲得したソーニャ・オサリヴァンさん。2012年ロンドン・オリンピックの聖火がダブリンにやって来た時、
日本のお客様グループとご一緒に彼女が聖火を持って走るのを見たことを思い出します
散策後、上述のホワイト・スター・ライン社の元オフィス内にある、タイタニック・バー・アンド・グリル(
Titanic Bar & Grill)でランチを楽しみました。

週末の午後とあって地元の人たちでにぎわっていました

海の幸たっぷりの、熱々のシーフード・チャウダーを堪能。ギネスブレッドと思しきスライスも絶品でした。タイタニックにちなむ名のついた料理もいろいろありました(ホワイト・スター・バーガーとか)
久しぶりにコーヴに来てみて嬉しかったのは、町がさびれておらず、週末の午後を楽しむ人たちで活気づいていたこと。
中には観光客らしき人や、私たちのように遠くから訪れて散策している人たちもちらほら。カフェやパブにも人の出入りがあり、ホットドッグやコーヒーのフードバンも複数出てにぎわっていました。
かつてのコーヴは、兵どもが夢のあと…といった感じの、訪れる人も少ない寂しい町でした。タイタニック号での町おこしや、対岸の国内いちのハイ・セキュリティーを誇った旧刑務所のあるスパイク・アイランド(
Spike Island)へのボートツアーの開始などが効果を上げ、パンデミックにもオフシーズンにも負けない町に生まれ変わったことを実感。
そして、久しぶりに観光地を訪れたことで、眠っていたガイディング魂に火がついた!再びお客様をご案内してツアーが出来る日を、心から待ち遠しく思ったのでした。
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コメント
池田雄二
私が映画「タイタニック」を見たのはフィラデルフィアに出張中のホテルのTVでした。英語が理解できないので、三等客船の貧乏青年とイギリス上流階級のお嬢さんとの恋物語か?程度でした。その時、セリーヌディオンを知り、フランス系カナダ人のその歌唱力に魅了されました。出張の帰りに「自由の女神」観光をお願いし、フェリーでエリス島経由で見学したのを思い出します。何のためのアメリカ出張かといいますとアイルランドにある日本法人工場に導入する設備の選定の出張でした。等々長い話になります。まだツイン貿易センタービルがある時代です。タイトルに在る歌に15歳のアニーが新天地アメリカ入国への「パスポートは勇気である」の一節が好きです。この子達によって、フロンティア精神のアメリカ物語が始まるのです。そして、南北戦争から風と共に去りぬへと続き、タラの地があり、アイルランドと繋がる訳ですが日本法人のある会社の場所はダブリン郊外のタラ地区でした。仕事の関係で何度か訪問しましたがこれらの関係性を理解するのはずっと後のことになります。そんな訳でアイルランドが大好きになりました。ながい感想文で申し訳ありません。
2022/01/20 URL 編集
naokoguide
池田さまとアイルランドとのご縁、興味深く読ませていただきました。
アイルランドというのは不思議な国で、私もそうでしたが、自分では気がつかぬうちに縁が出来ていて、あとになってから「そうだったのか!」と功名な伏線が張り巡らされていたことに気がつかされ、運命を感じてしまうんですよね。人生に常に物語を与えてくれる国だと思います。
勇気はパスポート、私もそのフレーズが大好きです。この歌はメロディももちろんだけど、歌詞がなんとも素晴らしいですよね。平易な言葉なのに、なんとも美しく綴られています。
想いのこもった素敵なコメントをありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いします!
2022/01/20 URL 編集
北の国からSHIGE
二人の弟を守るように凛として立つアニームーア、とても気高く感じました。
コーヴ、アニームーアと聞くといつも頭に浮かぶ曲は"Isle of Hope,Isle of Tears"や”O,America”です。
前者は、アニームーアが両親の待つ未知の国へ行く期待と不安を、そして後者は、200万人ものアイルランド移民を温かく受け入れてくれたアメリカへの感謝の気持ちと自由で美しい広大なアメリカを切々と歌い上げた名曲です。
両曲とも、その歌詞がとても感動的です。
共に歌詞はアイルランドの詩人でNaokoさんもよくご存じのBrendam Grahamさんによるものです。
コーヴと言うと「移民」「海難事故」などが思い出され、やや暗い気持にもなります。
しかし、最近は新しい明るい街に変わりつつあるとのこと。
ちょっと、ほっとしました。
2022/01/21 URL 編集
naokoguide
私もSHIGEさんご夫妻ともご一緒に来たなあ、と思い出していました。
「O, America!」もCeltic Womanがパワーズコートで歌うのをあらためて聴きました。そうか、この歌詞もBrendanさんでしたね。
今回アニー・ムーア像を見てあらためて思ったんですが、2人の弟たちは行く手を見ているけれど、アニーは故郷に後ろ髪を引かれるかのように振り返り気味なんですよね。希望を胸いっぱいに、でも二度と戻れないであろう故郷にも想いを残し…といった複雑な気持ちだったんだろうなあ、とあらためて想いました。
2022/01/22 URL 編集