ボクシングのケリー・ハリントン(Kellie Harrington)選手のオリンピック金メダルに刺激を受けて、そうだ、これを見よう!と思いついたのが、ジム・シェリダン監督&脚本、ダニエル・デイ=ルース主演のアイルランド映画『ボクサー(The Boxer)』(1997)でした。
『マイ・レフトフット(My Left Foot)』(1989)、『父の祈りを(In the Name of the Father)』(1993)に続く、シェリダン監督初期のダニエル・デイ=ルース起用の三部作として存在は知っていたものの、なぜかこれまで見たことがなかった一作。

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この作品が80年代に活躍した元ヘビー級世界チャンピオンで、1980年モスクワ・オリンピックへの出場経験もある国民的なアイルランド人ボクサー、バリー・マクグィガン(Barry McGuigan)にインスピレーションを得たものであることは知っていました。マクグィガンと言えば北アイルランド紛争時代にボクシングでピースメーカー役を担った人なので、多少は紛争の要素があるとは思っていましたが、ここまで…とは、実際に見るまで分かっていませんでした。
舞台は90年代後半、北アイルランドの和平合意が樹立した頃のベルファースト。和平交渉の仲介役となったクリントン米大統領の声明で始まります。
北アイルランド問題は和平合意から20年以上経過した今も尚くすぶっているくらいですから、平和な時代となりました、今日から武器を捨ててください、なんて言われても、そう簡単に気持ちがついていくはずがありません。敵と和解するなんてまっぴら、血を流し犠牲となった仲間たちを裏切るつもりか!と誤った「正義」に突き進む人たちと、暴力で対立する時代は終わった、子供たちのためにも和平を受け入れよう、とする人たちの新たな対立の構図が描かれています。
そんな微妙で危うい時代のベルファーストに、14年の刑期を終えて出所した元IRAのボクサーが戻ってきます。昔の仲間とは距離を置き、ボクシング・ジムを再開して再起をはかろうとするのですが、時代の空気が許さない…。
昔の恋人の存在、ボクシングへの情熱、生まれ育った故郷への複雑な感情…を抱えて葛藤する主人公のボクサー、ダニーを演じる若き日のダニエル・デイ=ルースがめちゃくちゃカッコいい。
ダニエル・デイ=ルースの相手役マギーのエミリー・ワトソンは、『アンジェラの灰(Angela's Ashes)』(1999)でお母さんのアンジェラだった女優さんですよね。
厭世感漂う、けだるいムードの女性を演じさせたら、この人の右に出る人はいない、というほどにハマり役だと思う。
全体のトーンはシリアス&重め、心がぐいぐいつかまれるパワフルな内容と展開ですが、中盤の、当時の北アイルランドで多発していたのであろう爆破や暴力のシーンは辛い。でも、シェリダン監督の作品だからきっと「救い」があるはず!と信じて、見続けました。
シェリダン監督が描くのはいつも、善だけでも悪だけでもない人たち。最終的には性善説に基づいた、牧歌的な救いのある世界に導いてくれるので、鑑賞後にはスッキリさわやかな感動を残してくれるのです。
「人殺しは嫌いだが、この街は人を殺したくさせる」…なんてダニーのセリフが心に刺さります。あの時代のどうしようもない苛立ちや失望、その裏に見え隠れする故郷への強い想いにぐっとくるひと言に、さすがシェリダン監督だ~と、唸らされました。
実在のボクサー、バリー・マクグィガンにインスピレーションを得たというのはこの部分か!と思ったのは、主人公ダニーと相棒アイクが、カトリック/プロテスタントの隔てなく人々をボクシング・ジムに受け入れ、両者合同のボクシング大会を開くエピソード。
北アイルランドとの国境沿いの町、カウンティー・モナハンのクロネス(Clones, Co. Monaghan)出身のマクグィガンは、紛争の暗い時代に人々に笑顔を与えたい、そのために勝利するんだ、と言い続け、実際に勝ち続けたボクサーでした。試合を見ているときはみな紛争を忘れられる、ボクシングにカトリック/プロテスタントの隔たりはない、と。
私生活では、自身はカトリックの生まれですが、プロテスタントの女性と結婚。現在も南北アイルランドをボクシングでつなげるピースメーカーとして、アイルランド、イギリス両国におけるボクシングの普及に努めておられます。
そして、試合開始前にヤジを飛ばす人々を、歌で心をひとつにしましょう、とたしなめ、リングの上で「ダニー・ボーイ」が歌われるシーンがあるのですが、それもバリー・マクグィガンがらみのエピソードでしょう。
バリーのお父さんパット・マクグィガン(Pat McGuigan、1935‐1987)さんはアイルランドを代表する有名な歌手で、息子の試合前にはいつも「ダニー・ボーイ」を歌っていたそう。そのパットさんは、この映画が完成した1997年に52歳という若さで亡くなられているんですね。
エンドロールの最後にトリビュートが出るのを見て、ああ、あの「ダニー・ボーイ」はこういう意味だったのか、と腑に落ちました。
映画の主人公の名がダニーであることも、ここにつながりますね。
ちなみにダニエル・デイ=ルースは、この映画でボクサー役を演じるにあたり、長期間にわたりバリー・マクグィガンさん本人から本格的なトレーニングを受けたといいます。
縄跳びで二重回しをビュンビュン飛んだり、シャドー・ボクシングしたり、パンチをするのも受けるのも、ホンモノのボクサーに負けない迫力でした。
実はこの映画を見た翌朝のラジオに、バリー・マクグィガンさんが出演して、あまりのタイミングの良さにびっくり。ケリー・ハリントンの勝利を賛えるとともに、決めるのはケリー本人だから…としつつも、彼女のプロ転向を望んでいるかのような口調でした。
2012年ロンドン大会でケリーと同じライト級でオリンピック金メダルを取ったケイティ・テイラー(Katie Taylor)とケリーの夢の対戦が叶ったら…なんて話で盛り上がっていましたので。
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Kellie Harrington v Katie Taylor in professional ranks would be ‘amazing’ – Barry McGuigan (Irish Independent)
この映画がアイルランドで公開されたのは完成翌年の1998年で、グッドフライデー合意(ベルファースト合意)と呼ばれる北アイルランド和平合意が結ばれた年であり、私が初めてアイルランド&北アイルランドを訪問した年でもありました。
当時のアイルランドってこんな感じだったんだなあ、と隔世の感。
物語の舞台はベルファーストですが、映像は、ん?ダブリンじゃないのかな?という気がして調べてみると、確かに撮影はダブリンで主に行われたよう。それも、
今まさにボクシング金メダリストの町として大フィーバーしているケリー・ハリントン選手の地元、ダブリン北市街地辺りで。
ケリーに刺激された私がこの映画を見たのは、単なる偶然ではなく、ダブリン北市街の下町の呼声が聞こえたから…かもしれません(笑)。
最後にひと言。アマゾンプライムの日本語字幕が実に秀逸で、それにも感激しました!
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