仕事の帰りにちょっと遠回りをして、以前から見たかったムーンのハイクロス(Moone Hight Cross, Moone, Co. Kildare)を見に行ってきました。
ダブリンからキルケニーへ向かう高速道路をそれて、田舎道へ。緑の牧草地と大麦畑が一面に広がり、いかにもアイルランド南東部らしい豊かな大地が目にまぶしいほどです。
ムーンのハイクロスは、アイルランド島に数あるものの中でも、そびえるようなその高さと独特の彫刻スタイル知られています。
中世のムーン修道院(Moone Abbey)跡地にあり、すぐそばまで行きついたものの道標が横を向いていたため入口がわからず、近くの農家さんで教えてもらいました。

グリーンのゲートのところだよ、でもそれは開かないので…

脇のギャップから入るように、と教えてもらった通り(笑)。ゴミ箱があるので私有地なのかもしれません

教会廃墟へ続く小径にはエルダーフラワーの巨木がずらり、白い花が咲き乱れていました

現存するのは1300年頃に建てられた教会廃墟。16世紀にイギリスの宗教改革時に破壊されたもの
どうやらここも、もとは聖コラムキルにより創始された修道院で、その歴史は6世紀までさかのぼるよう。聖コラムキルはアイルランド3大守護聖人のひとりで、北西部ドネゴールからスコットランドへわたり、キリスト教を広めた人です。
『ケルズの書』ゆかりの聖人でもあり、書の作成が始められたスコットランドのアイオナ修道院も、完成したアイルランドのケルズ修道院も、いずれも聖コラムキルにより創始された修道院です。
実は私がムーンのハイクロスのことを思い出したのも、
先日久しぶりに『ケルズの書』を見に行ったことがきっかけ。展示の中に、書の模様と類似の装飾がここにもあります、という説明パネルがあり、ムーンのハイクロスの写真があったのです。
それを見て、そうだ、前々から見たいと思っていたんだった!と思い出したのでした。

目指すハイクロスは教会廃墟の中に。屋根がちゃんと設置されて、風雨から守られていました

高さ7メートル強。モナスターボイス(Monasterboice, Co. Louth)のもの(3本あるうち、有名な「聖書の十字架(Muiredach's High Cross)」とは別の、ラウンドタワーの前にあるもの)に次いで、島内で2番目に高いハイクロスです
ハイクロスとは、9~12世紀ごろに建造された石の十字架で、人間の背丈より高い(high)ので「高い十字架」と呼ばれます。
ケルト十字架(十字架+円環)のかたちをしているが特徴で、多くのものが全面に彫刻が施され、まるで中世のアート作品さながら。いわゆるケルト文様と呼ばれる、『ケルズの書』に見られるような曲線を多用した模様や、聖書のシーンが物語のように彫り込まれています。
このハイクロスは19世紀に、現在墓地として使用されている教会の敷地内で発見されたのですが、まずは1835年、基壇部分と上部が見つかり、その後、1893年に中央の部分も発見されて、パズルのようにつながったそう。(上の写真を見ていただくと、中央の細い部分に割れ目が見えるかと思います)
欠けていた部分を見つけた人は大感激したことでしょうね。
ハイクロスはどうしても頭でっかちになりがちで、高くしすぎたり、十字架の横棒を長くしすぎたりして倒れることがしばしばあったそう。このハイクロスは10世紀ごろ、アイルランド島におけるハイクロス制作の最盛期に建造されたと考えられていますが、それにしてはずいぶんスラリと洗練されて見えます。もっと後の時代のものかと思ったほど。
石は固い花崗岩。バロウ川(River Barrow)周辺のこのエリアはハイクロス密集地域のひとつですが、いずれも近隣の花崗岩石を使用しています。砂岩や石灰岩に比べて固いので、切り出すのも彫るのも大変だったことでしょう。
このハイクロスが同時期のほかのものと比べて異なる点は大きく2つあり、まずは、東西南北4面の幅が均等であること。通常は、十字架の縦棒の断面図が長方形になるように作りますが、これは正方形なのです。
そしてもうひとつは、基壇部分に聖書のストーリーが彫り込まれていること。一般に聖書のシーンが彫られるのは十字架上部と中央部であり、このような例はほかに思い当たりません。でも考えてみれば、見上げなければならない高いところに物語が描かれているより、目の高さにあった方が見る人に親切ですよね。

基壇部分に描かれた聖書のストーリーが太陽の動く方向(東→南→西→北)に進行する、というコンセプトを知って感動。通常、ハイクロスやステンドグラスに描かれたストーリーは下から上へ読みますが、こちらは上から下へ…というのも珍しいです。この写真は東の面、上から「アダムとイブ」、「息子イサクを犠牲に捧げるアブラハム」、「ダニエルとライオンの穴」

南の面、上から「燃え盛る炉の中の若いヘブライ人と天使」、「出エジプト」、「パンと魚の奇跡」(←昔行った、ガラリヤ湖のほとりの、この故事に由来する教会のことを思い出しました、ああ、懐かしい)

西の面、上から「キリスト磔刑」(ほかのハイクロスでは、この図が十字の交差位置に描かれるのが一般的)、そして、これが『ケルズの書』の展示パネルにあった「12使途たち」の彫刻。ちなみにこのハイクロスに登場する人たちは、いずれも四角い体型なのがユニークですよね。そして、この使徒たちの困ったような顔もたまらなくいい感じ。彫刻がかなり摩滅していてわかりにくいですが、よくみると顔の表情だけでなく手のポーズも皆、違っているそうです!

北の面、上から「砂漠でパンをわける聖パウロと聖アントニウス」、「聖アントニウスの誘惑」、最後の締めくくりに、まさに『ケルズの書』にありそうな「6頭のモンスター」が見事
ひとつひとつ見ていくときりがありませんが、上部や中央部にも動物や鳥など興味深い彫刻が満載。
こういうハイクロスは、建設当時はエナメルペイントされていて、大変色鮮やかだったそうです。現在の姿からはにわかに想像しにくく、何度説明を読んだり聞いたりしても疑ってしまうほど。
周囲の解説パネルに興味深いことがたくさん説明されていました。その中で特に目を引いたのは、人物の四角い体型のこと。ほかに例を見ないユニークさですが、なんと、ノルウェイにそっくりさんがあるらしい。

ノルウェイのバイキングの墓地で発見された、ブロンズ製の像。ボウルの取っ手らしいのですが、四角い体には見事なエナメルペイントが施されています。ムーンのハイクロスに登場する人たちはコレに影響されたのでは?とのことですが、バイキングも絶賛侵略中の頃ですから、影響し合っていたとしても不思議ではありませんね
あまりに素晴らしくて、十字架周りをグルグルと何周もしては、ひとつひとつ何度もよく見ました。あんまりグルグルしたものだから、溶けてバターになっちゃいそう~!と、ひとりツッコミ入れながら。(← 『ちびくろさんぼ』のトラ事件・笑)
ちなみに、ここにはもう一体ハイクロスがあり、そちらは破片だけですが、ちゃんと展示されていました。

破片のひとつ。下のヒトダマみたな模様もケルト文様によく登場するもので、上述のハイクロスの十字の交差位置などにも描かれています
久しぶりの史跡探索を楽しみ、思っていた以上にリフレッシュしました。
ハイクロスも周囲の田園風景も、かつてはガイディングしながら日常的に見ていたものですが、今となっては目新しく、ダブリンからほんの小一時間のドライブだというのに、なんだかとても遠くまで来たような気がしました。
このエリアにはほかにも訪ねたいハイクロスや修道院跡地がいくつかあるので、また出かけようと思います♪
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