『赤毛のアン』仲間との週末のオンライン読書会に向けて、『銀の森のパット(Pat of Silver Bush)』を再読しました。
モンゴメリ作品の中でも大好きな一作。大人になってあらためて読み返したら、アイルランド・ネタ満載であったことにあらためて気が付き、びっくりさせられた作品でもあります。
物語の舞台はほかの多くのモンゴメリ作品同様、カナダのプリンス・エドワード島ですが、銀の森屋敷に3代にわたり仕える家政婦ジュディがアイルランド人という設定。主人公パットを秘蔵っ子として可愛がり、バリバリのアイルランド人訛りで、「ええ子ちゃんや、わたすのばあちゃんは魔女じゃったけん…」なんて話したりするのがたまりません!(←ジュディの訛りは自己流に再現、私の耳にはこう聞こえる・笑。「ええ子ちゃんや(me jewel)」は田中とき子さん訳を踏襲)
ジュディこそ、物語の影の主人公と言えましょう。初めて読んだ12歳のときには、まさか自分が将来ジュディの故郷で暮らすことになろうとは思いもしなかったなあ。
そんなわけで、『銀の森のパット』にあふれんばかりのアイルランド・ネタもあれこれお話したいのですが、その前に、以前から疑問に思っていたあることが前回の読書会で再読した『丘の家のジェーン(Jane of Lantern Hill)』と、今回の『パット』でおおむね解明したので、今日はそれについて。
その疑問とは、春の盛りにまったく季節外れではありますが、ハロウィーンについて。アイルランドやスコットランド移民がアメリカ、カナダへ伝えた、ハロウィーンにカブをくりぬいて提灯を作る習慣は、いったいいつ頃からカボチャに取って変わったのか…ということですが、モンゴメリの時代(19世紀末~20世紀前半)にはカブ(turnips)だったのでしょうか、それとも、カボチャ(pumpkins)だったのでしょうか?
『アンの愛情(Anne of the Island)』を再読したときに浮上したこの疑問、『ジェーン』と『パット』両作品にもハロウィーン提灯が登場してくれたおかげで、おおよそ解決がついた気がします。
※過去ブログ参照→
移民が伝えたハロウィーンと、『アンの愛情』デイビーのお化け提灯のこと(2020年10月)
以下、モンゴメリ作品におけるハロウィーンの提灯、ならびにカボチャの登場シーンを、物語の時代設定順に記してみましょう。
※()の年号は作品の発表年
1880年代(1915年)『アンの愛情』第5章
「ジャッキー・ランタン=ハロウィーンの提灯(a jacky lantern)」初登場、村岡花子訳では「お化け提灯」。
カブともカボチャとも明記されていない。この時代のアヴォンリーにカブはあったが(マシューが畑に種をまいている)、カボチャは登場しないので、カブ提灯だったのでは?
1890年前後(1936年)『アンの幸福』/『風柳荘のアン』第4章
アヴォンリーよりちょっと都会のサマーサイドで、アンは「カボチャの砂糖漬け」を(おそらく初めて)食べる(そして、褒めたら好物と思われて、どの家でも出されて辟易する・笑)
1900年前後(1939年)『炉辺荘のアン』第27章(新潮文庫の村岡訳では第29章)
ハロウィーンの頃、グレン村の納屋には「大きな黄色いカボチャが山積み」!
1906~07年(1919年)『虹の谷のアン』第16章
10月と思われる頃、ノーマン・ダグラスの馬車にリンゴやキャベツ、ジャガイモなどと一緒にカボチャが積まれている
1920~31年(1933年)(注1)
『銀の森のパット』第12章
ハロウィーンにパットの兄シドが作ったのはカブ提灯(turnip lanterns)だった!(1921年頃)
1930年代?(1937年)『丘の家のジェーン』第28章
「カブやカボチャのジャックオー・ランタン(turnip and pumpkin Jack-o'-lanterns)」 by トロント育ちのジェーン
…以上です。(オタクな検証でスミマセン…!)
ほかにも最近読み返していない作品中に登場シーンがあるかもしれませんが、とりあえず以上の情報をまとめますと…。
プリンス・エドワード島では1900年頃を境に農村にもカボチャが普及したが、ハロウィーンの提灯は1920年代初めでもまだカブだったようだ。その後、30年代になると、カブ提灯も健在ながらカボチャも使用。でも、ジェーンは都会のトロント育ちなのでカボチャ提灯を知っていたけれど、プリンス・エドワード島ではまだ旧式のカブ提灯だったかもね…といったところでしょうか。
結局、解明したような、しないような。物語を離れてさらに文献や資料を調べることも出来ますが、あえてそこまでせず、あとは空想で補うことにしましょう。
ポイントはやはり、はじめは移民元の伝統どおりカブだった!ということですね。『パット』のおかげでそれがわかってすっきりしました。
さらに付け加えるならば、アイルランド人のジュディが家を取り仕切る銀の森屋敷では、たとえカボチャ提灯が当時すでに流行の最先端だったとしても、「わたすの目の黒いうちはカブだで、ええ子ちゃんや」とかなんとか言い張って、旧式をとおしたに違いない!(笑)
そして、このハロウィーンの晩の、ジュディのキッチンでの食事のおいしそうなこと!
「じゅうじゅう焼けた塩漬けの豚肉と、皮つきのベイクド・ポテト(fried salt pork and potatoes baked in their jackets)」だなんて、さすがジュディ、なんだかアイルランドの農家で食べるみたいな夕ご飯だなあ。
(注1)『銀の森のパット』の時代設定は、第26章でパットが「(第一次世界大戦の)休戦協定が結ばれたとき私は5歳だった」と述べていることから考察。

12歳のときから愛読している私の日本語版『銀の森のパット』(田中とき子訳、篠崎書林)は昭和58年の初版。ところどころページが取れかかっていていますが、付箋や書き込みの数だけ思い出もいっぱい。原書の英文は声に出して読んでいますが、ジュディのアイルランド訛り、私、かなりうまいです(笑)
- 関連記事
-
コメント