週末の読書会に合わせて読み返したモンゴメリ作の『青い城(The Blue Castle)』。
そこに出てくるアイルランドのことについてご紹介しようと思っているのですが、その前に、一昨日に書いた
アイルランド出身のロック・バンド名の由来とも言える「ティン・リジィ」が言及されていたことについての後日談です。(バンドのティン・リジィのことではなく車のこと)
『青い城』の執筆・出版当時のモンゴメリの日記を読んでいたら、バー二イの愛車であるおんぼろリジィのニックネーム「レディ・ジェーン」が、モンゴメリ自身の車の名だったことを知りました。
バー二イの車同様、モンゴメリの車もやはりフォードTではなく、グレイ・ドート(Gray-Dort)というカナダ、オンタリオ州で製造されていた自動車モデルだったよう。(1922年9月10日の記述から)
グレイ・ドート社はもともと馬車を製造する会社でしたが、馬車から自動車へと需要が移っていく中、フォードの下請け工場から自社メーカーに成長。1915~1925年の10年間、製造は続きましたが、アメリカ車との価格競争に勝てず他社に吸収合併され消え失せてしまいました。
バー二イの愛車グレイ・スロッソンというのが車種なのかメーカーなのかもわからずにいましたが、きっとこのグレイ・ドートのことだろうと思い当たりました。『青い城』の執筆は1924~1925年、発表が1926年。物語の時代設定は、地の文に回想風の箇所があることから、執筆以前の時世を感じさせます。バーニイはグレイ・ドート初期のモデルをおんぼろになっても乗っていた…ということなのでしょう。
物語の時代設定ですが、執筆2年前の1922年と考えることもできます。というのも、モンゴメリは1922年の夏、のちに『青い城』の舞台となるオンタリオ州マスコウカのバラへ家族旅行に出かけているから。そのとき片道85マイル(約137キロ)の旅を共にしたのが、グレイ・ドートのレディ・ジェーンでした。
当時のモンゴメリの住まいだったリースクデイルの牧師館から、滞在先のバラのローズローン・ロッジ(現バラ博物館→
Bala's Museum)まで、現在Google Mapで1時間半と出てきます。今から100年前は舗装道路ではなかったでしょうし、レディ・ジェーンは時速40キロ位でしょうか。モンゴメリのご主人のユーアンさんはバーニイみたいなワイルドなタイプじゃないので、高速で飛ばすことはしなかったはず。少なくとも3~4時間はかかったのではないかと想像されます。
『青い城』でも、浮かれたホリデー客が車でマスコウカ地方へ大挙してくるような描写がありますが、モンゴメリ自身もその一人としてそんな様子を目にしたことでしょう。

レディ・ジェーンをバックにいざ出発!というときの家族写真。こんな車だったんですね~。The Selected Journals of L.M. Montgomery, VolumeⅢ:1921-1929より(1922年7月30日のページに添えられた写真)
このホリデー中、モンゴメリは湖に浮かぶ数々の小島からお気に入りを選び、素敵な夏のコテージを建て、親しい友を遠方やお墓の中から呼び集めて歓喜と若さを取り戻し、心ゆくまで魂の会話をする…といった夢想をしています。嵐で友が帰らず、眠れぬ一夜を明かしたあとに無事戻ってきて喜び合う…なんてところまで想像しちゃってます。(1922年7月31日の日記より)
『青い城』がここから生まれたことがうかがい知れますが、この頃のモンゴメリは、第1次世界大戦がやっと終わったかという時に親友をスペイン風邪で亡くし、夫も病気を患い…と辛いことばかり。主人公ヴァランシーが夢見た『青い城』は、作者モンゴメリにとっても、それを着想し執筆することで現実逃避させてくれる夢の城でした。
レディ・ジェーンはこの休暇中は調子が良かったようですが、その秋に7歳となり、「悪魔を宿し」はじめます。(1922年9月10日の日記より)最寄りの町Uxbridgeへ行くのに途中で7回も止まってしまったり、帰りにエンジンがかからなくなったり。夜道でライトがつかなくなる事件も起こり、もう修理費ばかりかかる~と日記に愚痴をこぼされ、翌1923年4月にお払い箱に。
ドッジ(Dodge)というメーカーのアメリカ車が新しくやってきて、「素晴らしい車」と称賛するモンゴメリ。ああ、かわいそうなレディ・ジェーン…。でも、手のかかる子ほど可愛いと言いますし、楽しかったバラでの思い出とともにバーニイのおんぼろリジィとして物語の中にその名を残したところをみると、やっぱりモンゴメリのお気に入りはどんなにおんぼろでもレディ・ジェーンだったに違いない!と思えるのでした。
ちなみにモンゴメリの日記をさかのぼってみると、レディ・ジェーン以前にもう一台、別の車があったようです。
1918年5月7日の日記についに自動車を購入したことが書かれているのですが、それば5シーターのシボレーで、(同年8月14日の記述によると)「デージー」と呼んでいたよう。
トロント郊外のモンゴメリの住まい付近に自動車が普及し始めたのはその頃のようで、1911年に結婚して移り住んだ頃にはめったに見られなかったのに、今では日曜日の礼拝に来る人の半数が馬車でなく自動車だ、と書かれています。
初めてファミリーカーを所有することになったモンゴメリですが、時間の節約になるだろうとしつつも、嬉しいかどうかわからない…としています。車のライトでは月夜のドライブが台無しになっちゃう、こんなご時世になる前に男性に送ってもらう年頃を過ぎていてよかった、運転しながら女性に片手をまわすこともできないなんてロマンスもあったものじゃない…といったことを綴っているのですが、確かアンもギルバートにそんなことを言う場面があったような。時代遅れかもしれないけれど馬車の方がロマンチックだったわね…とか何とか。
その箇所がどこだったか探せないのですが、きっとこれを読んだ詳しい方や、アン仲間の皆さんが教えてくださることでしょう♪
最後に余談ですが、『青い城』を読むといつも『キャンディ・キャンディ』を思い出すのは私だけでしょうか。これから『青い城』を読もうという方がいらしたらネタバレになってしまうのであまり詳しく言えませんが、バーニイとアルバートさんが…!
『キャンディ・キャンディ』は外国風のストーリーにしようということで、『あしながおじさん』や『赤毛のアン』の要素が取り入れられたと聞いています。キャンディのそばかすはアンみたいだけど、結末は…『青い城』では?
あ、タイトルは正しくは2つの「キャンディ」の間にハートが入るんですよね。永遠の名作、あれで私は西洋人の名前を覚えた!世界史のテストにはまったく役立たなかったけれど、今でも全部言えます。テリュース・G・グランチェスター、キャンディス・ホワイト・アードレー、アニー・ブライトン…フラニー・ハミルトンなんて脇役の名も言えちゃう・笑。(フラニーは『アンの幸福』のキャサリン・ブルックとキャラがかぶりますよね)
今思うと、アリステア&アーチ―ボルト・コーンウェルはいかにもスコットランドっぽい名だし、パトリシア・オブラインはアイリッシュ・アメリカン!あ~、また読み返したくなってきた~💓
『青い城』から、話がすっかり脇道にそれてしまってスミマセン。
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コメント
miwako
なるほど。モンゴメリとしては、ただ「くるま」とか、車種で呼んでちゃダメなのね。そうなるとウチの車にも名前を付けてあげたくなりました。名前がある方が無事故につながりそうです(笑)
2021/01/19 URL 編集
naokoguide
馬車から車に買い代えた時の日記によると、馬の名は「クイーン」だったみたい。最初の車の「デイジー」って馬の名っぽくて、いかにも車は馬から進化した!って感じですよね(笑)。
miwakoちゃんの車、名前つけたらなんて名か教えてね♪
2021/01/19 URL 編集