昨日のブログの続きです。
日系アイルランド人のクララ・キヨコ・クマガイさんの新刊絵本
『インディゴをさがして』(小学館)が志村ふくみさんの「藍色」にインスピレーションを得て生まれた物語だということから、ダブリンの「ケルズの書」のブルーの顔料も藍であることに思い至り、昨日はそこまでお話ししました。
紀元800年頃にキリスト教の修道院で作成された、ダブリンのトリニティー・カレッジ所蔵の彩色写本『ケルズの書』(
Book of Kells, Old Library, Trinity College Dublin)。近年色の研究が進み、かつてはアフガニスタンからもたらされたラピスラズリだと考えられていた鮮やかなブルーは、鉱石ではなく植物の藍であることが明らかになりました。
インディゴ・ブルー(藍色)の色素を持つ「藍」と呼ばれる植物は世界中に分布していて、100種類以上もあるそうです。
日本ではタデ科のタデアイが主に使用されますが、「ケルズの書」のブルーは、当時ヨーロッパでさかんに栽培利用されていたアブラナ科のウォード(woad)という別種の藍。
タデアイはイヌタデのような小粒のピンク色の花をつけますが、ウォードは菜の花みたいな黄色い花をつけます。「ケルズの書」が作成されたスコットランド沖のアイオナ島で栽培されていたかは定かではありませんが、ヨーロッパ北部産とのことですので、アイオナ島でも栽培可能だったのではないかと思います。

「ケルズの書」の聖ヨハネの肖像画のページ。文様の枠線、聖ヨハネが座してるソファーの色などに鮮やかなインディゴ・ブルーが映えています(パブリックドメイン)
ちなみにほかの色についてですが、鉱石から作られたものが多く、黄色は雄黄(ゆうおう=ヒ素の硫化鉱物)、赤/オレンジは酸化鉛、白は石膏。
(赤は昆虫をすりつぶしたものだと聞いていましたが、最新の研究ではそうは言われていないよう)
植物からの色は、ブルーのほかには黒とパープルがあります。
黒は漆黒とでもいうべき真っ黒いブラックは炭素粉末ですが、茶色がかかった黒はオークガル(oak gall)というブナの木の若芽にインクタマバチという昆虫が卵を産みつけることで出来る、タンニンを含む瘤から抽出された顔料。日本では没食子(もっしょくし)と呼ばれます。
アイルランド制作のアニメーション映画『ブレンダンとケルズの秘密』にその採取シーンが登場しますね。
パープルは、理科の実験などで使用される酢酸オルセインを手作りしていたよう。リッチェン(lichen)と呼ばれるコケのような姿をした地衣類の色素と酢を混ぜた顔料です。
リッチェンは今も森の中の木の枝や、海辺の岩場にもしゃもしゃ生えていますが、空気の洗浄度の高い地域にしか生息しないそうで、日本の山で見かける「サルオガセ」と同じものかと思います。
アイルランドではかつてセーターなどを編む毛糸をリッチェンと一緒にグラグラ煮て、茶色または赤茶色に染めていました。酢を混ぜることで茶色、赤茶色、赤紫、紫…と微妙に変色するのでしょうか。
そのほか、グリーンはインディゴ+雄黄、淡いブルーはインディゴ+石膏、一部のパープルはグリーンにさらにインディゴを塗り重ねるなどして、限られた顔料をブレンドしたり、湿度による反応で変色させたりして色のバリエーションを増やしていたことが分かっています。
修道士たちは魔法使いのように色を生み出し、変化させ、あの美しい彩色写本を作り上げたわけです。
話をウォードに戻します。
紀元前500年頃にアイルランド島にも到来したとされる古代ケルト人は、ウォードから作られたインディゴ・ブルーで全身にタトゥーをほどこして、または全身を真っ青にぬって、戦場で敵に挑んだ言われています。
青インクに「ケルティック・ブルー」と呼ばれる色があるのも、
映画『ブレイブハード』の中でメル・ギブソン扮するウィリアム・ウォレスたちが顔を真っ青にぬった姿で戦場に現れるのも、その「青塗り」の風習にヒントを得ているのでしょう。
ただ、ウォードから作られるインディゴ・ブルーは、布を染めたり、ベラム紙(仔牛など動物の皮をなめして作った皮紙)に色付けするには優れた顔料でも、皮膚には(指先や眉毛など一部を除いて)付きにくく、タトゥーにすると皮膚が焼けて傷だらけになってしまうそう。
そのため、古代のケルティック・ブルーはウォードではなく、銅から抽出されたと考える専門家もいます。
もうひとつ、ケルトとブルーということで思いつくことがあります。
このことは以前にもブログに書きましたが、アイルランド語(ゲール語)では黒人(black man)のことを「ファー・ゴラム」と言い、それは言葉通りだと「青い男(blue man)」という意味なんですね。
(ちなみに「黒い男」は「ファー・ドウブ」と言い、悪魔の意味!)
青い空はやがて漆黒に変わります。そのはかない境い目の色をつかまえようとする少女インディゴの物語を読み、黒人を「青い」とした古代アイルランド人の色の感性を見たような気がしました。
【関連情報】
12月18日、『インディゴをさがして』の作者クララ・キヨコ・クマガイさんと志村昌司さんによる津田塾大学の公開オンライン講座があります。詳細・お申込み方法はこちら→
英語英文学科主催公開オンライン講演会「芸術が海を渡るとき」※「ケルズの書」の顔料についての参考資料
→
Pigments in the Book of Kells→
The examination of the Book of Kells using micro-Raman spectroscopyなど
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コメント
Yama
『インディゴをさがして』。さっそく図書館に予約しました。表紙絵を見て、八幡平国立公園温泉群の南にある「地熱染色研究所」で染められている、世界でも珍しい地熱蒸気を利用した染色にイメージが似ているなと感じました。
https://hachimantai.shop/makers/hachimantai-chinetsuzome/
いずれも大地から生まれた色。精神を自然のなかに解き放つ色の数々に、圧倒されます。
青い空が漆黒の闇へと変化する。-----すべての色を飲み込む黒へと。変容と受容の象徴のような気がします。
志村ふくみさんの作品は、これはもう、私のとぼしい語彙では表せないほど素晴らしいものです。
もうお一人、お知らせしたい染色家・染色方法があります。「すべて土に還せること」を信念に、草木染に取り組んだ山崎家三代がなさったことを。
http://morinooto.jp/2014/07/02/yamazaki-kusakizome/
「藍の生葉染め」
蓼藍・タデアイの種を春先に蒔くと、発芽率100%。夏の初めに摘み取る紅花よりも遅く、初秋に穂状の花を付けるころ、ばさばさ刈り取って処理をし、絹布にそのまま染めるのです。暑さのまだ残る乾いた空気のなか、ひるがえる緑とも空色ともつかぬ布の輝きはエメラルド・グリーン。ジャパン・ブルーの色の前段階の爽やかさを持ちます。色としては健気、いたいけなと言った表現が当てはまりそうな。
ある色を固定し、常に同じ色に染め上げること。これは想像を越えてむずかしいことです。材質、気温、媒染材の量、水など、さまざまな要因を乗り越えて、例えば十二単の色を染め分けるのは、おっしゃる通りこれはほとんど魔術師のわざです。
>リッチェン(lichen)と呼ばれるコケのような姿をした地衣類の色素と酢を混ぜた顔料です。
『銀の森のパット』『パットお嬢さん』に、「ジョディは苔を使って染色する」という場面がありますね。あれはサルオガセだったのかもしれません。『風と共に去りぬ』のなかに、オークス屋敷の並木にサルオガセがぶら下っている、という描写があったような----。なんとオタクな!
>赤は昆虫をすりつぶしたものだと聞いていましたが
この赤は「コチニール」でしょうか。ウチワサボテンに寄生するカイガラムシから取り出した色。A教授からお送りいただいた『エミリ・ディキンソン詩集』のなかにこんな詩がありました。エメラルドとコチニール繋がりで。
A Route of Evanescence,
With a revolving Wheel –
A Resonance of Emerald
A Rush of Cochineal –
And every Blossom on the Bush
Adjusts it’s tumbled Head –
The Mail from Tunis – probably,
An easy Morning’s Ride –
By Emily Dickinson(1489)
(ラッシュ。その通りです。ハチドリのすばしっこさときたら、目にもとまらぬほど)
最後に、藍にはインフルエンザウィルスを不活性化する働きがあるらしいです。抗菌・防臭作用に加え、藍建てしたのちの藍エキスは植物の成長を促す未知の物質を含むとのこと。
これからおそらく藍染めのマスクが出回るでしょう。
(NHKサイエンスZERO「天然染料 藍の科学 抗ウイルスに農業革命も!?」
2020年11月1日(日)放映より)
今回のCOVID-19に対して効果があるかどうかは、いまだ確認されていません。でもあると信じたいですね。
またまたおしゃべりが過ぎました。
寒さに向かい感染者の動向が気になります。ただ、自己コントロールあるのみ。
2020/11/20 URL 編集
naokoguide
それにしてもYamaさん、モンゴメリ作品を本当に細部まで読み込んでおられますよね、まるで生き字引のよう!ジュディの草木染めについて私はまったく記憶にありませんでした。ありがとうございます!
先日「アンの青春」を原書で読み返したら「lichen」が出てきて、村岡さんがコケと訳されていたのを確認したばかりでした。
「パット」の原文を早速当たってみると、はい、Yamaさんのご指摘のとおり、やはりリッチェンでした!
田中とき子さんが「クロトルや苔」と訳しておられる「Crottle and lichens」はどちらも地衣類。ジュディはそれとニワトコからパープルの顔料を作った…と書かれていました。(第13章)
パープル…どんぴしゃり、です!
クロっトルは石に、リッチェンは木の枝に生えているのをよく見かけます。きっとジュディは染色の知恵を故郷のアイルランドで得たのでしょうね。
地熱の染色について興味深く読みました。山崎和樹さんのシャンパン・ブルーについては別の記事で読んでいました。藍建てについての興味が広がり、この方のワークショップに行きたい!って思いました。
そして、NHKの番組、面白そう。オンデマンドで見られるようですので、あとで早速観てみます!
藍に抗菌効果があるとは。藍は深い。そして自然のものはやはりパワーがありますね。
赤がコチニールかということについて。
おそらくそうだと思いますが、「ケルズの書」に使われていたというのは通説に終わり、最新の研究では赤から発見されたのは鉛でした。以前は地中海地方に生息する昆虫…とされていたので、コチニールカイガラムシだと推測されたのではないかと思います。
楽しい話題をたくさんありがとうございました。広がる、つながる、本当に面白いですね。
ジュディのストーヴの上にのっている「染め壺」、私もまねてみようかな。
来年はYamaさんのお宅でタデアイが育つのを楽しみにしています!
2020/11/20 URL 編集