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『ドラキュラ』の作者ブラム・ストーカーのダブリンゆかりの地めぐり

『ドラキュラ』の作者ブラム・ストーカー(Abraham "Bram" Stoker, 1847 – 1912) はダブリン出身のアイルランド人。
毎年のセント・パトリックス・デーのパレードにはドラキュラに扮装した人が登場しますし、過去数年ダブリンではハロウィーン前後のこの時期にブラム・ストーカー祭り(Bram Stoker Festival)も行われています。(今年は新型コロナ禍のためオンライン・イベントのみ)
残念ながら閉館してしまいましたが、お化け屋敷的な展示を含むブラム・ストーカー博物館が生家近くにあったことも。

今日はお天気も良く、近所に住む友人よりウォーキングの誘いが。明日はハロウィーン…ということで、『ドラキュラ』にちなみ、移動制限内の半径5キロでブラム・ストーカーゆかりの地めぐりしない?とオタクな提案をしてみたところ、快く賛同してくれて、我が家からストーカーの生家を折り返し地点として12キロの長~いウォーキングを楽しみました。

まずはストーカーが大学に在籍しながら公務員として勤めていた、ダブリン・キャッスル(Dublin Castle, Dublin 8)の脇を通ってシティーセンター方面へ。
1879年、ストーカーの名前で初めて出版された書物は、ここでの職務経験を活かした『アイルランドの治安判事裁判官の手引き(The Duties of Clerks of Petty Sessions in Ireland)』だったそう。その職に就いた新職員が必ず読むべき心得として、1950年代まで活用されていたそうです。

次にストーカーが結婚式を挙げた、聖アン教会(St Ann's Church, Dowson Street, Dublin 2)へ。

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1707年建立、アイルランド国教会(聖公会)の教会。赤いドアがステキ

1878年、34歳の年に、フローレンス・バルコム(Florence Balcombe, 1858 – 1937)という陸軍中佐の娘さんと結婚。美人で評判だった彼女は、なんとオスカー・ワイルドのもと婚約者だったそうです。
ストーカーとワイルドは同じトリニティー・カレッジの同窓生で、在籍期間も重なっていました。ストーカーが会長を務めていた哲学同好会の会員同士として友情を深め、ストーカーはワイルドの家での社交の集まりにも招かれていたそう。(参照→Why Dracula never loses his bite, The Irish Times
よりによってオレのもと婚約者と…と、ワイルドはこの結婚を快く思わす2人は疎遠になったようですが、のちには再会し旧交を温めたようです。

2人の母校、ダブリン大学トリニティー・カレッジ(Trinity College Dublin, Dublin 2)は聖アン教会の目と鼻の先。18世紀の図書館オールド・ライブラリー所蔵の『ケルズの書』(Book of Kells)が有名ですね。
かつては自由にキャンパスを通り抜けられましたが、新型コロナ禍のため現在は学生、関係者、オールド・ライブラリーのチケット保持者以外は立ち入り禁止となっています。

結婚後のストーカー夫妻は、ロンドンに移住するまでの短期間、聖アン教会のほぼ裏手にあるキルデア・ストリート(Kildare Street, Dublin 2)に暮らしました。
短期間の居住だったにもかかわらず、「ブラム・ストーカーがここに住んだ」と記載された記念プレートがあるためか、ストーカーの住まいとしてダブリンでもっとも知られているのがここかもしれません。

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国立博物館の斜め向かい。地下1階+地上4階建て、奥行きが深く、カラフルなドアが特徴…といった、ダブリンのこの界隈に多いジョージ王朝時代の屋敷

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ドアの横の記念プレートに「ブラム・ストーカー 1847‐1912 劇場マネージャー ドラキュラの著者 ここに住んだ」とあります

「劇場マネージャー」とありますが、これがストーカーのパッションであり主業でした。学生時代に演劇に興味を持ち、公務員時代より劇評を書いていたストーカーは、結婚後、ロンドン・ウェストエンドのライシアム劇場に勤め、当時活躍していた有名俳優ヘンリー・アービングの劇団秘書となり、ロンドンの自宅で64歳で死をむかえる数年前までの27年間、その職と地位を保持しました。
職業柄、ロンドンの社交界で華やかな人たちとも交わり、その中には『シャーロック・ホームズ』で有名なコナン・ドイルも名を連ねています。ドイルの先祖はアイルランド人で、どうやらストーカーとは遠縁になるよう。

ここまでのゆかりの地は近場に固まっていますが、ここからストーカー生家のあるクロンターフ(Clontarf, Dublin 3)までは距離があります。リフィー川を南から北へ渡り、コノリー駅の前を通り、国立競技場クロークパークの見える線路の上の橋を越えて、40分程だったでしょうか、てくてく歩きました。

1847年11月8日、ブラム・ストーカーが生まれたのはマリノ・クレセント(Marino Crescent, Clontarf, Dublin 3)15番の家でした。
クレセントとは三日月の意味で、三日月型に弧を描くように連なって建てられた家並みのことです。

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1792年、シャールモント伯爵のマリノ・ハウス邸の障壁として建てられた住宅群。ダブリン唯一のジョージ王朝時代のクレセントで、26軒中、25軒が現存。現在も多くが個人宅です

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こちらがストーカーの生家、マリノ・クレセント15番。「ゾンビにエサをやらないで」の張り紙が(笑)

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個人宅のため記念物はとくにありませんが、住まいとしてきれいに整えられていました

ストーカーは7人兄弟姉妹の3番目で、7歳までは病気で寝たきりの子どもだったそうです。
健康になってからは活発で、学生時代は芸術や文化を愛好するかたわら、大変なスポーツマンでもあったそう。

余談ですが、ストーカーの時代のあと、この15番の家にはアイルランド独立の立役者マイケル・コリンズの親友ハリー・ボーランド(Harry Boland)が短期間住んでいました。(エイダン・クインが演じた映画『マイケル・コリンズ』の印象が強いですが、映画は史実と違う点が多いです)
マイケル・コリンズは独立戦争の資金調達で優れた財政手腕を発揮しており、噂を聞きつけたロシアが国家の運営資金を借りにダブリンに使者を送ってよこしたほど。このとき、2万ドルの借金の担保として、ロシア皇帝の戴冠式用の宝石群を渡されたアイルランド暫定政府は、その一部をハリーが住むこの家の煙突に隠していたそう!
何か所かに分けて隠していたようで、1930年代にダブリン市内のある金庫から一部が発見されましたが、煙突に隠したものはどうなったのでしょうね…。

ちなみに、ハリー・ボーランドは5番の家にも住んでいました。
そして、ストーカー夫人となったフローレンスの実家も偶然にもこのクレセントの1番でした。

クレセントの目の前に広がる緑地は、多くのジョージ王朝時代の街屋敷がそうであるように住人専用のプライベートな共同庭園でしたが、1980年代より「ブラム・ストーカー公園」として一般開放されています。

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今日はハロウィーンの仮装をした小さな子どもたちであふれていました。新型コロナ禍で家々をまわる「トリック・オア・トリート」が自粛となり子どもたちはがっかりしたことでしょうが、オリエンテーリングのようなことを楽しんでいたようで良かった

陽もだいぶ傾いてきたので、近くでコーヒーをテイクアウトしてベンチでひと休みしてから帰途へ。
コーヒーを買いに入った店の名が、なんとブラムズ・カフェ(Bram's Cafe、St Aidan's Road, Clontalf, Dublin 3)だったのには笑いました。(笑)

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このロケーションですから、ブラム・ストーカーの名にちなんだネーミングであることは間違いないでしょう

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店の外にスピーカーを置いて効果音を流し、ハロウィーン気分いっぱいに盛り上げていました

『ドラキュラ』の出版は1897年、ストーカー50歳の年。
1893年以降、ストーカーはスコットランドのクルーデン・ベイ(Cruden Bay)という海辺の村で長期休暇を過ごすようになります。ここを舞台にした小説も2作書いており、『ドラキュラ』も1895年、ここでの滞在中に書き始めたようです。
ストーカーが宿泊したキルマーノック・アームズ・ホテル(Kilmarnock Arms Hotel)は現在も営業されていて、当時の宿帳にストーカーのサインが残っているそう。
ドラキュラのモデルは中世ワラキア公国(現ルーマニア)の君主「串刺し公」ヴラド3世で、そこに中欧・東欧に古くから伝わる吸血鬼伝説を混ぜ合わせてフィクションにしたのが怪奇ゴシック小説『ドラキュラ』である…と言われますが、このクルーデン・ベイにあるスレーンズ・キャッスル(Slains Castle)という廃城が、ドラキュラ城の外観や構造のモデルとも言われるようです。(諸説あり)

90年代に添乗員をしていた頃、やはりドラキュラ城のモデルとされるルーマニアのトランシルヴァニア地方のブラン城(Bran Caslte)へ行ったことがあります。
断崖絶壁に建つ雰囲気満点の城。内部は博物館として一般公開されていて、当時はその一部がお化け屋敷コーナーがだったのですが、それはそれは真に迫っていて恐ろしかったのです。私たちの訪問からまもなく、アメリカ人観光客があまりの恐怖に心臓発作で亡くなり、そのコーナーは閉鎖された…と聞きましたが、さもありなん、と思ったものです。
ブラム・ストーカー自身はルーマニアへは行ったことがなく、モデルとされるヴラド3世が住んだ城もここではないらしいのですが。

さて、私たちのウォーキングですが、帰路の途中で日が暮れて、リフィー川の上に美しい月が昇るのを眺めることが出来ました。
今月はブルームーン(ひと月に満月が2回起こること)で、明日ハロウィーン当日が満月らしいのですが、すでにほぼ真ん丸と言っていいでしょう。

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川面に映る丸い月の美しいこと。写真ではほんとうに小さくしか見えませんが、月の右肩上に黄色い火星がキラキラ輝いていました

確かドラキュラは満月は苦手なんですよね…。満月に吠えるのはオオカミ男でしたっけ?
こういう話をしているとついつい口をついて出てくるんですよね、この歌が。…フンガ—、フンガ—、フランケン~、ざます、ざますのドラキュラ~、そうでがんすのオオカミ男、俺たち怪物三人組さ~♪(←アニメ怪物くんの終わりの歌。いまだに全部歌えてしまう自分に驚き呆れる・笑)

そして、知ってるようで意外に知らない『ドラキュラ』のストーリーを知りたい!という方にぜひお勧めなのが、1992年の映画『ドラキュラ(Bram Stoker's Dracula)』。
『ドラキュラ』映画はいくつもありますが、原題に「ブラム・ストーカーの…」とあるように、いちばん原作に忠実なのがこれだそうです。

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ドラキュラ役のゲイリー・オールドマン、アンソニー・ホプキンズ、ウィノナ・ライダー、キアヌ・リーブス…とそうそうたる顔ぶれ

つい最近ハロウィーンにちなんで観たのですが、この「そうそうたる顔ぶれ」が真剣にゴチックホラーを演じるのがかえってコミカルで、怖いを通り越して笑えちゃうくらいスゴイです。
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アイルランド公認ナショナル・ツアーガイドの山下直子です。2000年よりアイルランド在住。趣味はサーフィン、アイススケート、バラ栽培、ホロスコープ読み、子供の頃からのライフワーク『赤毛のアン』研究。長野県上田市出身。

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