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『赤毛のアン』に最初に出てくる花かもしれない…ジュエルウィード(ツリフネソウ)見つけた!

日々のジョギング・コースであるリフィー川(River Liffey)のほとりに、8月終わり頃から咲き始めたピンク色の花。
花のかたちがユニークで目をひく上、見るたびに何やら懐かしいような気持ちが呼び起こされるのですが、かと言って、名前がぱっと出るほどには知らない花。子どもの頃に近所に咲いていた草花のひとつかな…とも思うのですが、だとしたら、子どもの頃の私は牧野植物図鑑の熱烈な愛読者でしたので、名前を知らないはずがない…なとと思いめぐらしていました。

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濃いピンク色でギザギザの大きな葉っぱ。1メートル位に大きく育ち、川べりに群生

あれこれ調べた結果、これはアイルランドでは「ヒマラヤン・バルサム(Himalayam Balsam、学名:Impatiens glandulifera)」の呼び名で知られる植物であると判明。名前のとおりヒマラヤ地方原産で、19世紀初めにイギリスに入ってきて自生、そこからアイルランド島やヨーロッパ大陸に広まったようです。

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ユニークな花のかたちから「おまわりさんのヘルメット(Policeman's Helmet)」なんてニックネームもあるのだとか

日本ではこれと同種の花が「ツリフネソウ(学名:Impatiens textori Miq.)」と呼ばれていることもわかりました。ツリフネソウ、釣船草、吊舟草…。ん?その名はどこかで聞いたことがあるような…。
そこで頭の中に電光のように閃いた文字が、そう、「ジュエルウィード(Jewelweed)」。『赤毛のアン(Anne of Green Gables)』にいちばん最初に登場している(かもしれない)花です!

『赤毛のアン』(以下『アン』)の出だしはこうです。

Mrs. Rachel Lynde lived just where the Avonlea main road dipped down into a little hollow, fringed with alders and ladies' eardrops and traversed by a brook that had its source away back in the woods of the old Cuthbert place;…

アヴォンリー街道をだらだらと下って行くと小さな窪地に出る。レイチェル・リンド夫人はここに住んでいた。まわりには、榛の木が茂り、釣浮草(レディーズ・イア・ドロップス) の花が咲き競い、ずっと奥のほうのクスバート家の森から流れてくる小川がよこぎっていた。…
(新潮文庫『赤毛のアン』村岡花子訳)


この、リンド夫人の住まいに茂る「ladies' eardrops(レディーズ・イア・ドロップス=貴婦人の耳飾り)」ですが、作者のモンゴメリははじめは「jewelweed(ジュエルウィード=宝石草)」と書いていたそうで、それを「ladies' eardrops」に書き変えた…というのはマニアの間ではよく知られた話。
「ladies' eardrops(レディーズ・イア・ドロップス)」と呼ばれる花はいくつかあるのですが、村岡訳でそうしているように「釣浮草(つりうきそう)=フクシア(Fuchsia)」であると、いつからか私もそう思っていました。(ホクシャとも呼ばれますね)
モンゴメリは『アン』の第2章でも、「サフラン色の空」を「マリゴールド色の空」に書き変えたりしています。ジュエルウィードというのはレディーズ・イア・ドロップスと同じ花につけられたニックネームのひとつで、どちらもステキなニックネームだけれど、最終的にモンゴメリのセンスとインスピレーションで後者が選ばれたのであろう、と。

さて、かれこれ22年前の夏、アイルランド島に初めて降り立った私は、緑の牧草地を真っ赤に縁取るように群生するエキゾチックな釣り鐘状の花が「ladies' eardrops(レディーズ・イア・ドロップス)」と呼ばれていることを知り、驚喜したのでした。
実は私が愛読していた古い村岡訳では、この花の名は省略され訳されていませんでした。(2013年の改訂版で加えられました)
ですから、私が最初に見た「ladies' eardrops」と呼ばれる花はアイルランドに群生する野生のフクシアで、すっかりそれが『アン』に出てくる最初の花だ!と思いこんだのです。

今ではさまざまな色かたちをしたフクシアの園芸種が日本でもたくさん出回っていますが、当時この花を知る人はあまりおらず、私もアイルランドで初めて出会いました。
『アン』に最初に出てくる花がアイルランドにこんなに咲いていたなんて…と「運命」を感じたものです。(笑)

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アイルランドに自生するフクシア。19世紀に南米チリからもたらされ、アイルランド語では「神様の涙(Deora Dé)」の名で呼ばれるように。8月のアイルランド西海岸、とくにディングル半島やウェスト・コークに行ったことのある方は、牧草地の垣根が真っ赤な畝を成す景色に目を奪われたことでしょう(写真は今年8月、アラン諸島にて撮影)

ところがしばらくして、疑問が生じました。中南米原産のフクシアは寒さに弱いのです。アイルランドは高緯度にありながら暖流のおかげで冬も緯度通りの寒さになりません。暖流の影響を直接受ける沿岸部は氷点下になることもなく、シュロの大木など暖かい地域で育つ植物が庭木として普通にあるくらいですから、フクシアも伸び伸び自生しています。
一方、『アン』の舞台であるカナダのプリンス・エドワード島の冬は厳しい。あそこでこの花が冬越し出来るのだろうか。リンド夫人の家の周りを縁取る(fringed)ほどに茂るのだろうか、と。
そんなことを思い始めたときに、プリンス・エドワード島に詳しい人が「あの島でフクシアが自生しているのを見た記憶がない」と言うのを聞き、もしや別の花では…と考えるようになりました。
そして調べていくうちに、ここで登場するレディーズ・イア・ドロップスはフクシアではなくて、モンゴメリの初稿にあったジュエルウィードのニックネームでも知られる、ツリフネソウでは…との説が浮上したのでした。村岡訳の「釣浮草(ツリウキソウ)」ならぬ、「釣船草(ツリフネソウ)」…ということで、名前が似ていてなんともややこしいのですが。

ちなみにフクシアは、『アン』第11章ではニックネームではなく、「fuchsia(釣浮草=フクシア)」として登場しています。それならフクシアはプリンス・エドワード島でも自生するじゃない、ってことになりますが、どうもワサワサ茂っている風な描写ではないのです。
アンが、「ボニー」と名付けた窓辺にある鉢植えのゼラニウムの葉にキスをして、フクシアに手を振った…と書かれているので、手を振れるくらい近くの見えるところに咲いてなければなりません。窓のすぐ外に咲いていたのかもしれませんが、「フクシアはプリンス・エドワード島に自生しない」説を念頭に置いてあらためて読むと、ひょっとして「ボニー」と同じように室内に置かれた鉢植えの園芸種だったのでは?なんて気もしてくるのです…。
19世紀のプリンス・エドワード島に園芸種のフクシアがどの程度普及していたのか、それも調べてみなくてはなりませんが。

ジュエルウィードに話を戻します。
あれこれ調べてみて、私がツリフネソウ説に傾いたのは、マニアの方々の考察、そして、山本史郎さん訳の『赤毛のアン完全版』(原書房)の注釈によります。
参考までに解説部分を抜粋させていただきますと、

ladies' eardrops。学名Impatiens capensis, Balsaminaceae。”宝石草”(jewelweed)とも”野生の忘れな草”(wild touch-me-not)などとも呼ばれる。ホウセンカ科に属し、黄色またはオレンジがかった黄色の花をつける。熟した種の鞘(さや)に触れると、避けて種がはじける。(503ページより)



とあり、私が調べたことや聞き知ったこととも合致し、納得がいきました。山本さんは文中では「鳳仙花(ホウセンカ)」と訳しておられ、 学名はホウセンカ科と解説していますが、ツリフネソウ、ツリフネソウ科はホウセンカ、ホウセンカ科とも訳されますので同じことです。
ちなみにツリフネソウ属を表す学名の「インパチェンス(Impatiens)」は、「impatient=我慢できない、待ちきれない」に由来し、種が「我慢できずに」はじけることから。
子どもの頃、はじけたホウセンカ(インパチェンス)の種を集めて遊んだものです。そういう意味だったのか!

こういった一連のことを調べたのはずい分前で、その時は写真でしかツリフネソウを見たことはありませんでした。
プリンス・エドワード島で咲くツリフネソウは、山本さんの解説通り、オレンジ色のコレのようです。→Impatiens capensis(Wikipedia)

ですので、近所のリフィー川の川べりに咲いているピンク色の花がまさか、幻のジュエルウィードこと、ツリフネソウの色違いとは思いもよらず。
『アン』に最初に登場する花が、夏のアイルランドを代表するフクシアである可能性が低くなり残念に感じていましたが、ツリフネソウだとしたら、それも近所にあったんだ!と嬉しくなりました。

それにしても、リンド夫人の住まいは川沿いなのですから、川べりに生育しやすいツリフネソウが群生していると考える方が自然だわ、と、リフィー川を背にして咲き乱れるアイルランドのツリフネソウを見て実感出来たことは大きな収穫でした。
あのどこかで見たことがある…という懐かしい感覚は、『アン』つながりだったから。そして、「あれがジュエルウィード!」と合致したときは、まるでホウセンカの種がパチーンとはじけたかのような、小気味よい快感でした。
こうしてグルグル回って、最後は結局、身近で解決&納得するものですね。

【後日追記】
コメント欄でのYamaさんとのやり取りにもあるように、『赤毛のアン』の始まりは6月初旬。ツリフネソウもフクシアも咲くには時期が早すぎる…ということで、『アン』に最初に出てくる花は何?という議論は再び迷宮入り、振り出しに戻る、なのでした!
(まるでケルトの渦巻きのようだ…グルグル、グルグル)

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コメント

Yama

悩みました 悩んでいます 悩むでしょう
日本ではすでに一年草のツリフネソウ(盛夏の黄色の花から晩夏の赤へ)は花が終わり、今はやはり一年草のインパチエンス(ツリフネソウ科ツリフネソウ属)が名前の通り種をあちこちに飛ばしています。

直子さんの日記を拝見し、悩みました。

トロントのYさんとも「象の耳」についてお話ししたばかりなのですが、問題は
1)その花がその時期に茂って咲くか。ツリフネソウは一年草で、気候・特に累積温度と開花時期には大きな関係があります
2)その場面の描写にその具体を置いたのは「作家的真実」を求めたからか。
3)その名前は固有名詞ではなくて、単に普通名詞だという可能性もある。

http://kemanso.sakura.ne.jp/anne-fuchsia.htm

探索を続けていますが、これは果てしない旅のようです。
だから止められないのですが。

確認するため『赤毛のアン』村岡訳 昭和58年5月刊を開いたら、綴じ代から酸化した紙がバラバラと落ちてしまったのです。
ああ、私長いことこの本を読んでいたんだ。茶色く酸化しすぎて8ポイントくらいの小さい字がそろそろ読み取れなくなる---。

naokoguide

Re: 悩みました 悩んでいます 悩むでしょう
Yamaさん、こんにちは。Yamaさんのフクシャのページは拝見しています。
実は近所の川べりに咲く花がツリフネソウかも、と気が付いたのは、Yamaさんのページを拝読したのがきっかけでした!

そうなんです、物語の始まりは6月。6月にツリフネソウが咲くかしら、という疑問は残ります。
そうなんです、悩みます、ほんと、グルグルするんですが、そこはフィクションで、私はリンドさんちの周りにこの花を咲かせることにしました。この、ワサワサ茂る花の様子、パーンと種がはじける感じ、リンドさんっぽいわ、って思って(笑)

モンゴメリがどうして書き変えたのか、気になりますよね。私は、ジュエルウィードって名前があまりにステキすぎるから、って気がしています。ハンノキ(alders)と並べるには豪華すぎる名。レディズイヤドロップスの方が世俗的な響きがして、リンド夫人の登場にふさわしいからかな、って思ったりしています。

私の初代・村岡訳もまっ黄色です(笑)かれこれ40年くらい所有してることに…。
ほんとうに果てしない旅ですね。アンの迷宮に迷い込んで40年…です(笑)


Yama

悩みは深まるばかり
>レディズイヤドロップスの方が世俗的な響きがして、リンド夫人の登場にふさわしいからかな、って思ったりしています。

アボンリー村の女性長老のリンド夫人を彷彿とさせますよね。

それにこれから登場するアンの運命は、触れて弾けるこのツリフネソウの種のようだ、とも感じるのですよ。

ああ、私もぐるぐるする。

naokoguide

Re: 悩みは深まるばかり
Yamaさん、ステキ♪
オレンジ色のツリフネソウ、パーンとはじける種からアンの新たな運命が始まる!
そんなイメージがどんどん膨らんできました。

『アン』をこういうふうに読むのが私は好きです。モンゴメリが創作した世界から、糸を手繰りよせるように私たちも世界をつくっていく。それが、ぐるぐる…なんでしょうね。
嬉しく興味深いコメント、いつもありがとうございます💓
非公開コメント

naokoguide

アイルランド公認ナショナル・ツアーガイドの山下直子です。2000年よりアイルランド在住。趣味はサーフィン、アイススケート、バラ栽培、ホロスコープ読み、子供の頃からのライフワーク『赤毛のアン』研究。長野県上田市出身。

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