北アイルランド紛争の解決は、両勢力が武器を置いて「話し合い」をしたことで実現したと言われます。
2008年にNHKのドキュメンタリー番組の取材で長期にわたりご一緒に仕事をした和解プロセスのファシリテーター、ウィルヘルム・フルウート(Wilhelm Verwoerd)さんは、北アイルランドの和平プロセスはパレスチナ、南アフリカなど世界の紛争地域のモデルになり得ると話しておられました。
(フルウートさんは南アフリカの「アパルトヘイト建設者」と呼ばれるフルウート首相の孫で、家族と反目してマンデラ大統領に賛同。アイルランドのNPO法人に所属しておられましたが、現在は故郷の南アフリカに戻られ、北アイルランドでの学びと経験を活かして活動を続けておられます)
1960年代終わりから顕著になったナショナリスト(アイルランド系のカトリック住民)とユニオニスト(イギリス・スコットランド系のプロテスタント住民)の武力抗争であった北アイルランド紛争。
1998年のグッドフライデー合意(ベルファースト合意)をもって政治的に終結しましたが、ある日突然、両勢力が話し合いに応じて合意にこぎつけたわけはなく、そこに至るまでの水面下での、何年にもわたる気の遠くなるような「話し合い」「交渉」のプロセスがありました。
北アイルランドで誘拐、暗殺、爆破事件が日常だった1980年代、テロリストと話し合いをしようなどと考える人が誰一人いなかったときから、世間の批判や脅しにさらされながら命がけでそれを行っていたのがデリー(Derry/Lodonderry)出身の政治家ジョン・ヒューム(John Hume, 1937~2020)でした。
John Hume, architect of peace process, dies aged 83(RTE News)より
そのヒューム氏が、すでに
日本のメディアでも報じられていますが、一昨日故郷のデリーで83歳で亡くなり、アイルランドではその功績を再び振り返り賞賛する報道が連日続いています。
ジョン・ヒュームの功績は、北アイルランド和平樹立の功労者…といった平凡な形容ではとても語り尽くせないものです。
キング牧師の非暴力による公民権運動に触発され、60年代~70年代初めに平和的デモを北アイルランドに応用。映像メディアの影響を活用して、当時北アイルランドで横行していたアイルランド系住民への不平等や差別を世界に訴えることをしたのも彼が最初といっていいでしょう。
1998年、ユニオニスト側の功労者であるディヴィッド・トリンブル(David Trimble)と共にノーベル平和賞を受賞。現在の北アイルランドの平和な日常はこの人により作られたと言われるほど、デリーの誇り、北アイルランドの誇り、そして長年にわたるアイルランドと英国の政治的軋轢を払拭するきっかけをつくったとして、アイルランド全体の誇り。
2010年にアイルランド公共放送RTEが「アイルランドの偉大な人物(Ireland's Greatest)」として歴史に名を残す人々の紹介ドキュメンタリー番組を制作、視聴者から投票を募ったところ、マイケル・コリンズやU2のボノをおさえてナンバー1に輝いたのはジョン・ヒュームでした。
(→
Part 1 : John Hume - Ireland's Greatest 続きのPart2~4もYouTubeにあげられています)
ここ数日SNSでさかんにシェアされているジョン・ヒュームのノーベル賞受賞時の有名なスピーチの一部。「いかなる紛争もいさかいも、違いを認め合わないことから起こる。平和は違いを尊重すること」という一貫した彼の主張が込められています(スピーチ全動画はこちら→
John Hume, Nobel Peace Prize 1998: "Our differences are an accident of birth")
本日のデリーでの葬儀は、新型コロナ禍で近親の家族とアイルランドのマイケル・D・ヒギン大統領、ミホール・マーティンを含むごく少数の政治家のみが参列して静かに行われました。棺を運ぶときに流れたのは、デリー出身の音楽家フィル・コウルター(Phil Coulter)作、ヒューム氏自身も好きだったという「私の愛した街(The Town I Loved So Well)」。紛争により変わってしまったデリーの街を愛おしく思う歌です。(日本ではフォーク歌手の横井久美子さんの歌声で知られますね)
息子さんのおひとり、アメリカ在住の方は新型コロナ禍で帰国できませんでした。平時なら、98年の和平合意の仲介役となったクリントン米元大統領や、トニー・ブレア英元首相、U2のボノなども参列する盛大な葬儀だったことでしょう。
私もデリーに駆けつけてお見送りさせていただきたいくらいの気持ちでした。
晩年のヒューム氏は認知症をわずらい、街を歩く姿がしばしば目撃されたそう。ちゃんと家に帰り着けるか、街の人たちがいつも見守ってくれていたそうです。
キング牧師のこの言葉を生涯、モットーとしていたと言います。
We Shall Overcome!
我々は打ち勝つ!先日のオンライン講座で2つの名前のある街デリー/ロンドンデリーの話をしたばかりでした。
偉大なヒーローのご冥福を心よりお祈りします。
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コメント
sima-s
2020/08/08 URL 編集
naokoguide
晩年、街を徘徊する彼を街の人が気遣い、見守っていたというエピソードが心に残りました。
彼の出身中高校の生徒がインタビューに答えていましたが、会ったことはないけれど、毎日胸像の脇を通って校舎に入り、話を聞かされているので知っている人みたいな気がする、今の平和な暮らしはこの人のおかげだと感謝しています、と言っていました。デリーでは紛争後の若い人たちも、みなヒュームのことを身近に感じているようです。
北アイルランド紛争時代にアクティブだった政治家たちが高齢で亡くなっていくニュースを見ると、地代の移り変わりを感じます。
2020/08/08 URL 編集