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『炉辺荘のアン』とアイルランド③ 『ユリシーズ』にも出てくるエップス・ココア

ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を読むのが難しいので耳から入れることを始めましたが、Spotifyでジョギングしながら聴くスタイルにしてみたら、思いのほか聴き進みとても良い。
ジョイスの造語もあったりして難解な部分も多いですが、わからなくてもあまり気にせずとにかく聴いています。
ただ、全体像がつかみにくいのと、細部のいいところがちゃんと聴けていない可能性があるので、虎の巻も参照。以前から愛用(愛読?)させていただいているこちらの本がぴったり。

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『ユリシーズのダブリン』柳瀬 尚紀・翻訳/松永学・写真(河出書房新社)

各チャプターからの抜粋の原文対訳で、場面に関連したダブリンの(まるでジョイス時代のようなモノクロ)写真が豊富に掲載されています。
良いのは解説がないところ。注釈豊富なものはそれはそれで良いのだけれど、個人的には『ユリシーズ』は読み解き目的ではなく、摩訶不思議感を感じたい作品なので、解説に引っ張られずに楽しめます。

ところで4月に『炉辺荘(イングルサイド)のアン(Anne of Ingleside)』のオンライン読書会をしたとき、あることが疑問点として提示されました。
参加者の多くが読んでいる村岡花子・訳(新潮文庫)で、母となったアンが長男ジェムをベッドで抱きしめて寝かしつける場面がこう訳されています。(第21章)

「母さん、その服を着るととてもきれいだね」
ジェムは眠そうな声を出した。「きれいで清らかで……エップス・ココアのようだ」


「きれいで清らか」なのが、どうしてココアみたいなの?という疑問。
これは翻訳上の問題で、原書を当たったらすぐに解決しました。「きれいで清らか」の原文は「sweet and pure」、「甘くて、混じり気がなく純度の高い」ココアみたい…ってジェムは言いたかったんですね。
そして、ジェムが大好きなお母さんの例えに持ち出すほどのエップス・ココアってどんなココアなんだろう、とさらに好奇心がわき、みんなで調べてみたのでした。

エップス・ココア(Epps' cocoa)はロンドン生まれ。1830年代、ホメオパシーの先駆者として知られるジョン・エップス(John Epps、1805–1869)博士が発明した、世界初のお湯またはミルクで溶く粉状のインスタント・ココアだったそうです。
そもそもカカオ豆を焼いてすりつぶしたドロドロ飲み物は、中南米の古代マヤ、インカ、アステカの人々が「神様の飲み物」として古くから飲料していましたし、アイルランドで今もポピュラーなキャドベリーや、日本でもよく知られるオランダのヴァンホーテンは1920年代にはすでにココアの販売を行っていましたが、家庭で楽しめる「粉状のインスタント・ココア」はエップスが世界初だったんですね。

『炉辺荘のアン』の時代背景は1900~1906年頃。その頃にはココアの代名詞として海を渡り、カナダのプリンス・エドワード島の片田舎でも、家庭の戸棚に欠かせないものとして君臨していたと思われます。
エップス社は代替わりしながら家族経営で成長していったようですが、1930年に工場閉鎖。他社に製造が移り、その頃を境に名声も下火になったようです。『炉辺荘のアン』の出版は1939年なので、もしかするとその頃にはあまり見かけないものとなってしまっていたのを、晩年の作者モンゴメリが古き良き「エップス・ココアが全盛だった時代」を懐かしんで物語に登場させたのかもしれない…なんて思ったのでした。
(この作品はモンゴメリがアン・シリーズの最後に書いたものなので、いろいろな意味で「懐かしさ」がにじみ出ています)

Epps’ cocoa was first sold from 1839 for the use of patients for whom tea and coffee were restricted. It was an instant...

Posted by Epps Family on Friday, 14 June 2019

初期の頃はこんな箱に入って売られたようです。「ホメオパシー(同毒療法)効果のある薬(屋さん)」と書かれているのが興味深いですね

ココアの効能は現代も言われていますが、当時はより健康ドリンク的な存在だったのかも。
創業当時のエップス博士のレシピは、西インド諸島産クズウコンを20%、砂糖を13%を混ぜたものでした。
20世紀初頭に経営がエップス一族の手を離れると、1924年に配分が変更され、クズウコンは16%に減量、砂糖は44%に増量されています。
博士のレシピの方が断然体に良さそう。アン一家が飲んでいたのはウコンたっぷりの健康ココアだったのですね(笑)。

以上のことに加えて、調べている過程で思いがけず出てきたのが『ユリシーズ』でした。
イギリス産ココアがカナダで人気だったのであれば、当時イギリス領だったアイルランドにも当然普及していたはず。1904年6月16日のダブリンの地図であり生活史でもある小説『ユリシーズ』に、エップス・ココアはちゃんと登場していたのでした。
第17章「イタケー(Ithaca)」で、ブルームの家でスティーヴンが「エップス・ココアを一杯(a cup of Epps's cocoa)」飲むシーンがあるのだそう。
Epps's cocoa - Joyce Project参照

私はまだドーキー(Dalkey)辺りをウロウロしていますが(第2章です・笑)、このシーンへ行き着くのを楽しみに聴き続けられそうです!

上記サイトによると、1904年6月18日付のアイルランドの新聞、ウィークリー・フリーマン紙にはこんなスゴイ宣伝広告が掲載されたそうです。
「エップス・ココアは、気持ちよく心落ち着き、滋養があって経済的(当時のエップス社の宣伝文句)。いかなる年齢層、社会階級層にもぴったり。クタクタに疲れたときに元気を取り戻す特効薬。子どもが大好きなのはもちろん、お母さんたちからも大絶賛」

『炉辺荘のアン』は『ユリシーズ』と同じ時代の物語。大西洋を隔てて、物語の登場人物たちが同じココアを飲んでいたんですね。
今は亡き幻のエップス・ココア。今日のダブリンは少々肌寒いので、キャドベリーのインスタント・ココアを飲みながら、いったいどんな味だったのだろうと想像を巡らせています。

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キャドベリーはイギリスの会社ですがアイルランドで売られている製品は多くがメイド・イン・アイルランドです

※参照→COMFORT FOR THE TABLE: EPPS COCOAなど

※『炉辺荘のアン』に出てくるアイルランド①、②はこちら→①アイリッシュ・クロシェ編みレース②ミセス・エーロン・ワード
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naokoguide

アイルランド公認ナショナル・ツアーガイド。長野県上田市出身、2000年よりアイルランド在住。趣味はサーフィン、バラ栽培、ホロスコープ読み、子供の頃からのライフワーク『赤毛のアン』研究。

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