『アンの娘リラ』に出てくるアイルランド・ネタ① 「アイルランド人のノミ」とは?/
『アンの娘リラ』に出てくるアイルランド・ネタ② 「ティペラリーの歌」と第一次世界大戦『アンの娘リラ』に出てくるアイルランド・ネタ③ 泣き妖精バンシー…に続き、第4弾です。(以下、『リラ』と表記)
第一次世界大戦下を時代背景とするこの物語には、大戦の指揮をとる政治家のことや、ヨーロッパでの戦況、歴史的事件が多く盛り込まれています。それに対するアン一家や村の人々の反応から、当時の世相を知ることが出来るのも、この作品の興味深い点です。
そんなひとつが、それまで中立だったアメリカを参戦させるきっかけとなった、ルシタニア号の沈没事件です。
(以下、引用はすべて『リラ』第13・14章、村岡花子訳、新潮文庫より)
忠犬マンディのことは前回ブログ(→
③泣き妖精バンシー)に書きましたが、ある日、駅にいるマンディに骨をやりにいったアン一家の家政婦スーザンが、帰宅するなり「なにか恐ろしいことが起こったんじゃないかと心配でたまりませんよ」と言います。
アンたちの住むグレン・セント・メアリー村には、「月に頬髭」というあだ名で知られる親独派の男性がいて、その「頬髭」がうれしそうな顔で汽車から降りてきたので、「ドイツ兵どもがどこかを突破したのではないか」とスーザンは心配したのです。
その1時間後に郵便が配達されて、村中に広まったニュースがルシタニア号の沈没事件でした。
客船ルシタニア号は、1915年5月17日、アイルランド南部カウンティー・コークのオールド・ヘッド岬(Old Head, Co Cork)の15キロ沖を航行中、ドイツの潜水艦U20に魚雷攻撃を受けました。
攻撃からわずか18分で沈没し、乗客1959人中、脱出できなかった子供100人を含む1198人が死亡。この中に128名のアメリカ人が含まれていたことからアメリカ国内でドイツに対する世論が悪化し、アメリカは中立から参戦に転じることになります。
(ドイツ大使館はアメリカ国民に「船に乗るな」と警告しており、最近行われた海底調査では、沈没した船内に国際法に違反する違法な武器や火薬が積まれていたことも判明)
アイルランド海軍により救助された人々は沈没現場から40キロ東のコ―ヴ港に引き上げられ、回収された遺体はコ―ヴのオールドチャーチ墓地に埋葬されました。
コーヴと言えば、1912年、タイタニック号の最後の寄港地として知られ、そちらの話題がクローズアップされることが多いのですが、町にとってはほんの数時間、素晴らしい客船が停泊したというだけ。(タイタニック号が沈んだのはコーヴ出港の3日半後、大西洋沖にて)
客船沈没の痛ましい現場を目の当たりにし、人々が100年以上経った今もなお語り継いでいる大事件は、タイタニックの3年後に起こったルシタニアのことなのです。

"Cobh - Lusitania Memorial" © Captain Cappuccino (
wikimedia) (Licensed under CC BY 4.0)
コーヴの町の広場に立つルシタニア記念碑が悲劇を今に伝えています
この事件は極めて非人道的なものとして、アメリカのみならず、世界中の非難の的となりました。
『リラ』のグレン・セント・メアリー村でも、人々が怒り、悲しんだ様子が描かれています。村の若者たちは怒りに燃えて、親独派の「月に頬髭」の家の窓ガラスを全部割ってしまいますし、気性の荒いノーマン・ダグラスという男性は、「ルシタニア号を沈めた奴らに悪魔が取憑(とりつ)かないんなら、悪魔なんていたってしようがない」と口から泡を吹いて怒鳴り散らします。
牧師館の小さな坊やブルースは、神様にあることを願い叶えられず不満に思っていたのですが、溺れ死んだ子供たちのことを想い、「神様はルシタニア号で沈んだ人たち全部の魂の世話をするのに忙しかったのね」と納得するのです。
(作者のモンゴメリも、文通相手マクミランへの1915年8月2日付の手紙に「悪魔のような仕打ち!」と怒りをあらわにし、事件を知ったトロントの街の混乱を書きつづっています)
そして、これを機に志願兵になることを決意する若者たちの心情や、周囲の反応も興味深く描かれています。
軍服を来た恋人を誇らしく思い目を輝かせる少女(メアリー・ヴァンス)、「たとえ世界じゅうの船がひとつ残らず潜水艦で沈められ、赤ん坊が一人残らず溺れ死んだとしても」息子を行かせたくない母親(キティばあさん)、「月に頬髭」の娘との結婚を望むあまり志願の決心がつかず、軍服姿の友人を見てため息をつく若者(ジョー・ミルグレーブ)…。
そして、リラの最愛の兄で、血なまぐさい争いを嫌い、美しいものを愛する詩人ウォルターも、ルシタニア号事件をきっかけに戦場へ赴くことを決意するのです。それをリラに打ち明けるときの2人のやり取りは、何度読んでも涙が流れます。
「…ルシタニア号の沈没以来の自分の状態のままではもうこれ以上生きていられなくなったのだよ。あの死んだ女や子供が無情な氷のように冷たい水に浮かび漂っているところを想像したとき―そう、最初、僕は人生に対して嫌悪のようなものを感じた。このようなことが起こる世界から逃げ出したいと思った―その呪わしいごみを永久に自分の足から払い落したいと思ったよ。そのとき、僕は行かなくてはならないと悟ったのだ」
「ウォルター兄さんがいなくても―ほかにたくさんいるわ」
「そういうわけではないんだよ、リラ・マイ・リラ。僕は自分のために―自分の魂を生かすために行くのだ。(中略)」
「あなたは―死んでしまうかも―しれないわ」(中略)
「僕が恐れるのは死ではない―それはずっと前、君に話したね。人は単に生命のために高すぎる代価を払うことだってある。(中略)僕は人生の美のために闘うつもりだよ。リラ・マイ・リラ―それが僕の義務だ。…」世界の至るところで、愛し合う家族や恋人たちが、きっと何百、何千とこのようなやり取りを交わしたことでしょう。このシーンに込められた普遍的な愛情や理想、生きる価値のようなものがなんとも切なく、胸がしめつけられるかのよう。
そして、何よりも大切なウォルターを失うことに苦しみつつも、リラは「心の隠れた部分に奇妙な安心感をおぼえ」るのです。これで誰もウォルターを兵役忌避者と呼べなくなる、と。
千層に行くも地獄、行かぬも地獄。この部分がいちばん悲しいです...。
『リラ』のアイルランド・ネタは、あともうひとつ書きたいことがありますので後日また。
※コーヴに関する過去ブログ→
タイタニック号の最後の寄港地コーヴ/
エリス島の移民第一号、アニー・ムーア/
ルシタニア号の悲劇から100年(コ―ヴ)
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コメント
アンナム
客船ルシタニア号の沈没は有名な出来事だったのですね。
それでブルースの言葉やウオルターの決意があったのですね。こんなふうに日本の読者が深く読んでくれてモンゴメリーはさぞ喜んでいるでしょう!
私もナオコさんの解説をみながらもう一度その場面を読んでみます。
アンシリーズをこのように読み解いていったら一冊の本が書けますね。
「アイルランドから読むアンの物語」って。第5弾も待っています。
2020/06/07 URL 編集
naokoguide
モンゴメリ、喜んでくれているかしら?だったら嬉しい(笑)
今のニュースは映像がすぐに世界中に発信されますが、郵便が届いてわかった…ということは、新聞ですよね。それでこの臨場感、すごいなあ、と思います。
「アイルランドから読むアンの物語」、まさに今、プロジェクト進行中です!
前にもアンナムさんが励ましてくださいました。やってみます!
2020/06/07 URL 編集