『炉辺荘(イングルサイド)のアン』に出てくるアイルランド・ネタその2です。
その1→
『炉辺荘のアン』に出てくるアイルランド・ネタ① アイリッシュ・クロシェ編みレース②
ミセス・エーロン・ワードアン・シリーズには植物が多く出てきますが、私たちの身近にあるものもあれば、いったいこれはどんな花?と気になるものも。それを調べて解明するのも楽しみのひとつで、過去数十年にわたり、アン仲間の皆さんからたくさんの知識をいただきました。
『炉辺荘のアン』に登場する「ミセス・エーロン・ワード(Mrs. Aaron Ward)」がバラの名であることを知ったのも、お仲間のひとりでプロのバラ研究家の方が教えてくださったのが最初だったと思います。
物語の第5章で、前回ブログでレース編みの名人とご紹介したイングルサイドのお手伝いさんスーザンが「…ミセス・エーロン・ワードに肥料をやりましょう、花つきが良くないので」と言うシーンがあります。
バラとはいっさい書かれておらず、しかも古い翻訳では「エーコン・ウォード夫人」となっていたので、どうして「夫人」に肥料をやるのかしら?とみなで頭を悩ませたものです。今ならグーグルすればそれがバラの名であることくらいはすぐにわかるでしょうが、私たちのさまざまなアン談義はンターネット時代のずっと前から始まっていたので!
このバラは1907年にフランス人のジョセフ・ペルネ・デュシェ(Joseph Pernet-Ducher)という園芸家により発表された四季咲きの大輪(ハイブリッド・ティー・ローズ)で、ほど良い甘い香り、色は淡い黄色。スーザンが花つきが悪いとこぼしているように、育てるのがなかなか難しいバラのようです。
そして興味深いことに、オリジナルの樹形のブッシュ・ローズ(木立性)とは別にこのバラには変種があり、1922年、北アイルランドのバラ園芸家アレクサンダー・ディクソン2世(Alexander II Dickson)がクライミング・ローズ(蔓性)のミセス・エーロン・ワードを作出しています。
1836年創業のディクソン一族による園芸所(
Dickson Rose)は世界最古のバラの品種改良の歴史を持つ園芸所で、現在も北アイルランドで営業しています。
ディクソン一族は、19世紀初頭、スコットランドから北アイルランドに移住し園芸業を始めました。ベルファースト近郊のアード半島(Ards Peninsula)付近の温暖な局地気候に魅せられ、1879年よりバラの品種改良に着手するようになります。3代目のアレクサンダー2世が生み出した242種のバラのひとつがクライミング・ローズ(蔓性バラ)のミセス・エーロン・ワードでした。

こちらがオリジナルのブッシュ・タイプのミセス・エーロン・ワード。黄色…といってもとても淡い色で、ピンクががって見えますね。写真©CC BY-SA 3.0(
Wikipediaより)
クライミングの方の写真はこちらで見られます。花はほぼ同じ。黄色味が強いですが、写真の色の加減によるかもしれませんね。→
Peter Beales Roses Lts.※4/25追記→その後さらに調べていて、花の形はブッシュとクライミングで違うらしいことがわかりました。ブッシュの方が花びらが尖っている(開花後しばらくすると外巻きになる)そう。実際に育てている方が、花の色は蕾の時はオレンジ、咲くと黄色、いっぱいに開くとアプリコットピンク…と書いておらるのを読みました。
6代目となる現オーナーのコリン・ディクソンさんは娘さんが2人いらっしゃいますが、お2人ともバラ園芸とは別の道を選ばれたため、昨年2019年をもってバラの交配はもう行わず、今後は育成と販売のみで営業していくと発表されました。
新種が作られないのは残念ですが、140年にわたる歴史の中で数限りないディクソン・ローズが生み出されていて、日本で手に入るものも多々あります。例えばレッドデビル(Red Devil)という四季咲きの赤バラは1967年、日本で行われた博覧会で金メダルを受賞したディクソンの代表的な品種のひとつ。(→写真は
姫野ばら園八ヶ岳農場さんのサイトで見られます)
そして、かつてはやはり土地柄もありイギリス的な命名が多かったのですが、近年はアイルランドを象徴する名のものも増え、
2015年にアイルランドの国民的詩人W.B.イエーツの名を冠したバラを作出したのは記憶に新しいところです。
話をアンの物語に戻します。
ミセス・エーロン・ワードが出てくる『炉辺荘のアン』の出版は1939年。バラであるとはひと言も書かれていないので、当時のカナダやアメリカでは、ミセス・エーロン・ワードと言ったらバラ!と誰もがわかるほどに有名だったのでしょう。
そして、イングルサイドに植えられていたのがブッシュかクライミングか…ということですが、私はブッシュではなかったかと思っています。
その裏付けのひとつとして、今回あらためて調べていて、やはりアンのファンで非常に詳しい調査をしておられる
薄荷さんのブログ「薔薇のつぼみのお茶道具」に以下の記述を見つけました。
(ちなみに薄荷さんは
私の過去ブログを参照、引用してくださっていて、ああ、アン好き同志、お互いのブログを見合っているんだわ!って嬉しくなりました)
「Mrs. Aaron Wardで検索を続けると、1922年のアメリカの人気バラアンケートの結果にヒットした。ブッシュタイプのMrs. Aaron Wardはアメリカでは人気のある薔薇だったようだ。」
現代のバラの通販カタログを見ても、アメリカはブッシュ・ローズ、イギリスはクライミング・ローズのミセス・エーロン・ワードが主流のようなので、普及の経路がそれぞれだったのでしょう。(日本にはブッシュの方が入ってきているようです。「エーロン」ではなく「ミセス・アーロン・ワード」と言っています)
※4/25追記→その後調べていて、
1917年には新種の黄色いバラの人気上位だったとの記述も見つけました。また、バラ栽培に詳しい方の記述によると、現在ではブッシュは非常に手に入りにくく、クライミングが主流だそう。
薄荷さんも書いておられますが、このバラを最初に発表したフランス人のデュシェは、1900年に黄色のハイブリット・ティー・ローズを世界で初めて作り出した人でもあります。黄色いバラというのは今では珍しくありませんが、アンの時代にはまだ出来て普及し始めたばかりのセンセーショナルなものではなかったかと思います。
ミセス・エーロン・ワードが育てにくいバラにもかかわらず人気だったのも、その色が珍しかったためでもあったでしょう。
そういえば物語の中で、スーザンがこのバラに肥料をやりましょ、と言っていた頃、イングルサイドには招かざる客メアリー・マリア(古い訳ではマライア)おばさんが長く滞在していました。アンもスーザンもこのおばさんにはほとほと困っていたのですが、それでも親切心からサプライズで誕生日会をしてあげたんですね。そうしたら、私の歳をみんなにばらしたわね!と悪意に取ったおばさんが怒って帰ってしまい、図らずして厄介払い出来た…という愉快痛快なエピソードがあります。
誕生日に一家の主(あるじ)ギルバートが買ってきたのは、おばさんが好きだと言っていた黄色いバラ。それも歳の数と同じ、55本も!
さぞかし見事だったことでしょうね、おばさんはその数ゆえ、喜びませんでしたが。(笑)
ちなみにミセス・エーロン・ワードの名前の由来は、作出者デュシェと家族ぐるみで親しかったアメリカ海軍のエーロン・ワード提督(1851-1918)のバラ好きのミセス(妻)にちなむそう。
せっかくバラの名にしてもらうなら、夫の名前でミセス○○じゃなく、私だったら自分の名前にしてもらいたいわ!と思い奥さんの名前を調べてみると、なんと、アニー・ケーンズ・ウィリス(Annie Cairns Willis)さんというそう。
アニーはアンの愛称にもなり得る名。とはいえ、イングルサイドのアンはメアリー・マリアおばさんが自分を「アニー(Annie)」と呼ぶのをとても嫌がっていました。
花つきの悪い庭の「ミセス」が実は「アニー」だった!って知ったら、アンは引っこ抜いてしまうんじゃないかしら…と勝手に妄想して可笑しくなりました。
もうひとつご紹介したいネタがありますが、今回もまた長くなってしまったので後日に。
【ミセス・エーロン・ワードについて参考にした本やサイト】
- The Old Rose Advisor (Volume 2, 2nd Edition) by Brent C. Dickerson
-
Dickson Roses(Wikipedia)-
Aaron Ward(Wikipedia)-
Dickson Roses no longer breeding after 140 years(BBC News)
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コメント
Yama
今もそうかわかりませんが、Bの会員の M さんでしょうか。
『野ばらハンドブック 』
『魅惑のオールドローズ図鑑 写真が語る伝統のバラ100の物語 』
このような本を出版なさっています。
プロのわざが光ります。
長い間のご努力が形に残ることは、素晴らしいこと!
2020/04/25 URL 編集
naokoguide
はい、Mさんです。こんな素敵な御本を出されていたんですね、素晴らしい。
オールドローズ図鑑の方はデジタル版がありましたので、早速購入しました。「はじめに」を読んだだけでワクワク、魅惑の世界に引き込まれそう。
昨日さらに調べていて2~3わかったことがありましたので、ブログ本文に加筆・追記しました。
2020/04/25 URL 編集