英国から日本へ初めて紅茶が輸入されたのは1906年。
今年2006年は、紅茶来航100周年だそうです。
今から100年前、日本に初めてもたらされた紅茶は
黄色い箱のリプトン・ティー。
今はいろいろなブランドがあるのでしょうが、私が子供の頃の紅茶は決まってリプトンの黄色いティー・パックで、それにレモンを浮かべて飲むのが「西洋風」だと信じていました(笑)。
今ではこちら風のミルク・ティー党になってしまいましたが、時々あのレモン・ティーがむしょうに飲みたくなることがあります。きっと多くの日本人にとって、初めて飲んだ紅茶はリプトンなんでしょうね~。
この世界的に有名なリプトン・ティーの発祥地はスコットランドのグラスゴーですが、
創業者のサー・トーマス・リプトン(Sir Thomas Lipton)の両親は、実はアイルランド人です。

この人が紅茶大王リプトンさん!(
Wikipediaより)
19世紀の大飢饉の時に、
カウンティー・モナハン(Co. Monaghan)のクロネス(Clones)からスコットランドに移民したリプトンの両親。そこで生まれたトーマス・リプトンは、15歳で渡米、その後生まれ故郷のグラスゴーに戻り紅茶ビジネスで大成功し、ビクトリア女王よりナイトの称号を授与されて「サー・リプトン」となった、
気概のアイリッシュ・スコッツなのです。
以下、英国政府観光庁さんの
英国式幸福論。より、
リプトンのサクセス・ストーリーを抜粋させていただきます。
― リプトンは、もともとはハムやベーコンを扱う食料品店として、1871年にスコットランドのグラスゴーに第一号店をオープンしました。商売や広告のセンスに富んだリプトンは、どんどん店を発展させていきましたが、紅茶を扱うようになったのは、第一号店をオープンしてから20年近くもたった1890年のことでした。その間に多くのブローカーが彼のもとを訪れては紅茶を売りつけたのですが、リプトンは紅茶の値段が高いのは、中間会社の儲けのためであることを知り、本当に品質の良い紅茶を適正価格で消費者が求められるような製品を提供するために、スリランカに赴き茶園経営に乗り出しました。
こうしてリプトンは、イギリスのみならず、世界各国に紅茶を届けたのです。名優エリザベス・テーラーが映画のロケでスリランカを訪れたときに茶園を見てとても驚いたエピソードは有名です。「紅茶はリプトンの缶から出てくるものだと思っていたわ!」。これは多くの人に紅茶といえばリプトンと認知された証だといえるでしょう。―
リプトンの両親の故郷クロネスに話を戻しますと、彼らが移民した後の19世紀後半のクロネスは、徐々に貧困から立ち直りを見せていったようです。
1850年代に導入されたレース産業により、
半世紀後にはアイルランド島におけるクロセ編みレースの中心地に成長、
鉄道や運河が建設されて交通の要所としても賑わいを見せました。
もしもリプトンの両親がそのままクロネスにとどまっていたら、
リプトンの黄色い箱から出てくるのは、紅茶のティーパックではなくて、レースのドイリーだったかも…!
現在のクロネスの町(
Monaghan Tourismより)
ちなみにクロネスは、
作家パトリック・マッケイブ(Patrick McCabe)の出身地でもあります。彼の代表作
『ブッチャー・ボーイ(Butcher Boy)』は、1996年にニール・ジョーダン監督により映画化され、クロネスでロケが行われました。(ブラックすぎるストーリーのためか日本での劇場公開はありませんでしたが、
字幕版DVDが出ています)
先日、デリーからの帰り道にバスでクロネスを通り過ぎたとき、車窓から
フランキーたちが縄張りを張っていた噴水を目撃。
リプトンとブッチャーボーイの足跡を訪ねて、今度ゆっくり、クロネス散策に出かけたいな~。
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