
小泉八雲旧邸。八雲が住んでいた当時のまま保存されているのは、現在ではここだけだそうです
小泉八雲が愛した街・松江①~宍道湖の朝日、旧・富田旅館など小泉八雲が愛した街・松江②~山陰アイルランド協会25周年記念イベント小泉八雲が愛した街・松江③~大亀に会えた!月照寺…の続きです。
イベント終了の翌日、松江を離れる最後の日には
小泉八雲旧居と、隣接する記念館を時間をかけてゆっくり見学させていただきました。
2016年にリニューアルされた記念館は大変わかりやすく充実した展示内容で、小泉八雲の人生、功績、人となり、びっくりエピソードをたくさん知ることが出来ました。光栄なことに、八雲の曽孫であり記念館館長でもある小泉凡さん、祥子さんご夫妻に代わる代わるご案内いただき、おかげで八雲という人がより身近に感じられました。

記念館入口近くにあった八雲が1890年秋から約1年間、英語教師として赴任した島根県尋常中学校の礎石。跡地は現在、島根県警本部の建物が立っています
館内には、八雲が実際に使用した現物も数多く展示されています。ニューオーリンズ時代に撮影した写真が多く残されていることにも驚きましたし、お子さんに英語を教えた八雲手作りの「教材」もありました。
説明文や、凡さんと祥子さんからお聞きした貴重なお話しの中から印象に残ったことを手元にメモしましたので、いくつかご紹介します。(自分の覚え書きのためにも)
・1884年12月16日、八雲はニューオーリンズ万博の会場で甲斐絹(かいき/fine short silk)に魅了され、のちに宍道湖の美しさをそれに例えた。
・アイルランドからの唯一の展示品は勉強机。もとは八雲を養育した大叔母ブレナンさんの裁縫机だった。
・八雲の14年間の日本での生活のうち、松江にいたのは1年3か月。
・1897年8月24日、八雲は富士山に登った!
・妻セツさんが江の島で買ったホラ貝の展示あり。タバコの火がなくなるとこれを吹いてセツさんに知らせたそう。
・八雲が愛用した鉄亜鈴(ダンベル)の展示あり。趣味は筋トレ!? 祥子さん曰く、八雲にはギリシャ人の血が流れているので、ギリシャ彫刻のような筋肉美に憧れていたそう。
・八雲の書斎が復元されていました。好んだのは西向きの部屋。八雲は生涯、西へ西へと向かった(ギリシャ→アイルランド→アメリカ→日本)
・1904年秋に亡くなる。その時、桜の花が返り咲き、書斎で飼っていた松虫が死んだ。「珍しい世界へ旅した夢を見た」とセツさんに告げ、その夜に亡くなった。
日本が好きで、まるで子どものような純真さを失わなかった八雲という人がますます好きになりました。
開催中の特別展「ハーンを慕った二人のアメリカ人 ボナー・フェラーズとエリザベス・ビスランド」(2019年6月27日~2020年6月7日)も大変興味深く、祥子さんにご説明いただきながら長い時間をかけて見学させていただきました。
内容の詳細は省きますが、ボナー・フェラーズについては映画『
終戦のエンペラー』(2012)でご存知の方もおられることでしょう。
凡さんのお名前は、小泉家にゆかりの深いこの人の名「ボナー」に由来するそうです。
館内は写真撮影が出来ないので目録を購入しました。

展示にあった八雲の愛用品の数々。ホラ貝、鉄亜鈴、虫かごの写真

『日本の面影』も通読したことがなかったので、この機会に文庫を購入

嬉しいことに凡さん直々にサイン&刻印していただきました。良い記念になります!
記念館見学後、隣りの八雲旧邸(冒頭写真)へ。こちらも凡さんと祥子さんがご一緒に来て案内してくださいました。

松江にいた1年3か月のうち、八雲がここに住んだのは5か月。それでも生涯この家を愛したそう。多くの著作がここで書かれ、八雲のインスピレーションの源にもなりました

『知られぬ日本の面影』第16章「日本の庭」の舞台となった三方に庭が見える部屋はここで、八雲が眺めた庭園がそのまま残されています

八雲が使用した机は、椅子の高さに比してずいぶん高い。目が悪かった八雲にとってはこの方が物書きしやすかったのです。八雲流に座って見せてくださった凡さん
長い間、訪れてみたいと思っていた小泉八雲ゆかりの松江。夢が叶い、凡さん、祥子さん、そして山陰アイルランド協会の皆さんのおかげで充実した素晴らしい時間を過ごすことが出来ました。
今回は松江城、石きつねのある城山稲荷神社へは時間切れで行くことが出来ませんでしたので、またぜひおじゃまさせていただきたと思っています。
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