アイルランド本の準備でまだまだバタバタなのですが、あまり遅くならないうちにこれだけは書き記しておこうと思います。
つい2週間ほど前の3月21日、北アイルランド自治政府の副主席大臣だったマーティン・マクギネス(
Martin McGuinness, 1950-2017)が亡くなりました。享年63歳。1月に体調異変を理由に政界を退くことが報道されたばかりでした。
もとIRAの司令官。武器を置いて政治家となり、北アイルランド和平、さらには武装解除の実現の立役者として活躍。
デリーのカトリック系住民地区ボグサイドに生まれ育ち、政治家となった後も地元に暮らしました。ボグサイドは1972年、北アイルランド紛争を加速させる大きなきっかけとなった血の日曜日事件が起こった場所。
まさにその場所を、群衆に見守られて棺が教会へ運ばれていく様子は感慨深いものがありました。

デリー城内の聖コロンバ教会へ棺が運ばれていく

和平合意の仲介役となったクリントン元米大統領も参列。英愛の政治家たちがみな集い、葬儀ではアイリッシュ・フォークの神様と呼ばれるべルファースト出身のクリスティー・ムーアが歌いました(写真はいずれも
3/23付けIrish Times:The Martin McGuinness funeralより)
葬儀の様子を見ていて個人的に思い出されたのは、
2009年に北アイルランド紛争後の和解をテーマにしたNHK・BSのドキュメンタリー番組「憎しみを超えられるか」の仕事で出会った人々のこと。
カトリック、プロテスタント両サイドの被害者、加害者何名かで「対話の旅」に出かけるという、今思えばものすごい体験をさせていただいたのですが、デリーのボグサイド出身の元IRAメンバーのドンとクリスティーにはとてもよくしてもらいました。
ドンは獄中でヨガを習得し、出所後ヨガ・ティーチャーになった人。凄みのある目と、対話の旅中に見せてくれた全身のタトゥーがすごかった。精神性の高い、スピリチュアルな人でした。
クリスティーはタクシー運転手。17歳でIRAに入隊、きっかけは家族が英軍隊に乱暴されたこと。少年戦士みたいな目をしたシャイでナイーブな男性で、「これはテレビの人には言うなよ…オレはここに爆弾をしかけたんだ…」と当時のスゴイ話をこっそり聞かせてくれた(笑)。
マーティン・マクギネスが元IRAで多くの人を殺害したことを非難する向きもありますが、それはあの時代、あの場所にあっては「正義」だったのだと私は思っています。
ドキュメンタリーの仕事では、
ロイヤリスト(プロテスタント側)の活動家だったアリスターや、
IRAに兄弟を殺されて心を病んでしまったジェラルドなどとも一緒でした。暴力は間違っていた、でも動機はみな同じで家族やコミュティーを守り、平和に暮らしたいという想い。紛争は過去のものとして許し合い前進しよう!と人々が勇気を出して踏み出した、というのが、北アイルランドの和平合意です。
暴力で多くの命を失い傷つけ合ったけれど、最終的には「話し合い」で解決したところが、「世界の紛争地域のお手本」と言われる所以。マーティン・マクギネスという人は、北アイルランド紛争のすべてのステージを体験し、和平へとつなげていく一連のプロセスを身をもって見せてくれた人ではなかったかと思います。
トランプ政権となり、世界がまた変わろうとしている(結果的によく変わるためのワンステップであることを切に願います)このタイミングで彼が生涯を終えたことに、時代の変遷のような大きな意味が感じられてなりません。
個人的な感想ばかりになりましたので、一般の報道などを見たい方はこちら。
朝日新聞3/21付け
北アイルランド前副首相のマクギネス氏死去 和平に貢献そして、マーティン・マクギネスについての著書も出しておられる英国政治にお詳しい菊川智文さんのブログに大変わかりやすく、詳しくまとめられているのでご紹介させていただきます。
British Politics Today マーティン・マクギネスの死
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