ホランドさんは今、ここに…
今回のお2人様のツアー中、モハーの断崖へ行く途中にリスカノー(Lisconnor, Co. Clare)を通り、いつものように潜水艦の発明者であるジョン・P・ホランド(John P. Holland)がこの村の出身であることをお話ししていました。「右側にホランド艇1号に乗ったホランドの像があります~」とご案内しながら右を見たら、なんと銅像がない!
車を停めてそこにいた村人に聞いてみると、近くにビジターセンターが出来て、そこに銅像が移されたとのこと。船舶や海洋関係のにご興味が深いお客様でもあったので、新しく出来たセンターに立ち寄ってみました。
ホランドに関する展示に加え、お土産ショップ、トイレ、コーヒーもあるので、休憩所としても使えそうです
なんと約10年前の記事。写真を見比べてみると、この頃から銅像もアップグレードされているようです。
ジョン・P・ホランドは1841年、当時アイルランド語のみが話されていたリスカノーの小さな村で生まれました。身体の弱かったホランド少年ですが、地元の小学校を出て、リムリックの学校へ通い、数学教師になり、アイルランド各地で教鞭をとります。コークでの教職時代に読んだ本からインスピレーションを得て、船を攻撃するには水の中からがいちばんである!と信念を得て潜水艦の設計図を完成させるのですが、この時には資金繰りがうまくいかず、日の目を見ることはありませんでした。
32歳でアメリカに移民して、今度はアメリカで教職に就きます。ある時ボストンの街中で、凍結していた道路で滑って転び足を怪我してしまいます。人生に思わぬ中休みが出来たこの時に、再び潜水艦の設計図を引っ張り出したのが運のツキ。今度こそ実現させるべく資金繰りに奔走、アメリカ政府に働きかけるも、「潜水艦など民間人の馬鹿げた夢だ」と嘲笑して取り合ってくれなかったので、アイルランド独立運動結社フェニアンより「敵国イギリスに打ち勝つため!」という名目で資金援助を得ることになりました。 このおかげで、教職を辞して潜水艦の制作、改良に専念。初めの試みでは沈んでしまったようですが、紆余曲折を経て、1897年にホランド艇1号の稼働に成功しました。アメリカ政府も徐々にホランドの実績を認め、1900年にはアメリカ海軍初の潜水艦が導入されました。
日露戦争(1904-5年)の際、日本もホランドの潜水艦をアメリカから輸入しています。実際の海戦では使用されなかったようですが、この功績により、ホランドは明治天皇より日章旗を授与されています。
センター内展示の様子。短い休憩でよく見る時間がなかったので、今度機会があったら展示をゆっくり見てみたいものです
3月下旬にオープンしたばかりというホランド・センター。私たちが日本人初の訪問者だったようで、歓迎していただきました(笑)。
The Mermaid House, Liscannor, Co. Clare.
Tel +353-70-82700
(入場料は今回は無料でしたが、今後有料になるかも)
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