女優のモーリン・オハラ(Maureen O'Hara, 1920 – 2015)さんが、10月24日、米国のご自宅にて95歳で亡くなられました。
ダブリン出身。アイルランドを舞台とした名作「静かなる男」(1952年)をはじめ、アイルランド系アメリカ人であるジョン・フォード監督作品のヒロイン役などで一世を風靡した、アイルランドが誇る大女優でした。

10月24日付Irish Timesより→
Maureen O’Hara obituary: Ireland’s first great Hollywood star/
Actor Maureen O’Hara dies aged 95モーリン・オハラさんはダブリン南部の中産階級の出身で、子供の頃から女優になることを夢見て育ったそうです。ご家庭の教育方針で家庭内ではアイルランド語を話すよう躾けられたため、アイルランド語教育が今のように盛んではなかったダブリンにおいては珍しく、完全なバイリンガルとして育ちました。
映画「静かなる男」の中で彼女の流暢なアイルランド語が披露されています。ジョン・ウェイン扮するショーンと結婚後、夫婦生活の悩み(多分)を川のほとりで釣り人に話すシーン。このシーンはアイルランド語オンリーで、英語の字幕もなかったように思います。
アメリカに渡り、女優業で成功するも、アイルランド人としての誇りを強く持ち続けたモーリン・オハラさん。
この話は私がガイディングの際にしばしばお客様にさせていただくエピソードですが、1946年、モーリン・オハラさんはアメリカで最初に「アイルランド人」として市民権を得た方なのだそうです。
市民権を得るためにアメリカの裁判所で宣誓する際、書類上の自分の国籍覧が「イギリス人(British)」となっていたのを見たモーリン・オハラさんは断固として反対。「アイルランド人(Irish)としてでなければ宣誓できません!」と言い放ち、法廷を後にしようとしたところ、裁判長に呼び止められて「アイルランド人」と訂正されたとか。
アイルランドは1922年にイギリスから自治を得て独立していますが、英連邦から完全に脱退したのは戦後の1949年。その辺りの事情を考えると当時は仕方のないことだったのかもしれませんが、彼女は自分のアイデンティティーを「イギリス人」とされるのはたとえ書類の上のことでも我慢ならなかったのでしょう。
モーリン・オハラさんの勇気ある抵抗が前例となり、それ以降アイルランド出身者は「アイルランド人」と書かれることになったということです。
ちなみについ先月、昨年10月から売りに出されていたモーリン・オハラさん所有のグレナガリフ(Glengarriff, Co. Cork)の邸宅Lugdine Parkが売却されたとニュースが流れたばかりでした。35エーカーの敷地を有する、丘の上の海を見晴らすお屋敷。
(過去ブログに写真あり→
グレンガリフのブルー・プール(ベラ半島研修・1))
ウェスト・コークの海の見えるこの家を大変気に入って2005年まではアメリカとアイルランドを行き来して暮らしておられましたが、ご高齢になられ、アメリカのご家族の近くで過ごされることが多くなり売却に踏み切ったそうです。
(希望価格230万ユーロでしたが、160万ユーロで売却。関連記事→
Maureen O’Hara sells west Cork home for €1.6m)
お墓もアイルランドではなく、ワシントンのアーリントン墓地。ご主人のかたわらに埋葬されるそうです。
昨年2014年にはアカデミー名誉賞を受賞しておられましたね。
往年のハリウッド銀幕スターのそれこそ最後の生き残り…といった方でした。ご冥福を心よりお祈りいたします。
※「静かなる男」関連過去ブログ:
『静かなる男』の村、コングにて/
静かなる男
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