リムリック市内観光でご案内した
聖メアリー大聖堂は、中世ノルマン・ゴシックの典型的なカテドラル。
1168年、時のマンスター王ドネル・モア・オブライエン(Donel Mor O'Brien)が王家の宮殿を教会に寄進、その跡地に建設されたもの。ダブリンのクライスト・チャーチ大聖堂(1172年)とほぼ同時期の建造物となります。
この時代のアイルランドの教会建築の特徴は、
全体はゴシック様式でありながら、それ以前のロマネスク様式が部分的に混在していること。ちょうど2つの建築様式の過渡期だったことがうかがえます。
教会は、
日が昇る東に祭壇、日が沈む西を入り口にします。
通常、西の入り口側から建てていくのですが、当時は完成までに何十年もの歳月を要したため、造っている間にしばしば建築様式の流行が変わってしまうことがありました。
聖メアリー大聖堂もその例にもれず、全体の仕上がりはゴシック様式なのに、西の扉は一時代前のロマネスク様式~。
ロマネスク建築独特の馬蹄型アーチが見事に残っています。

あまりに美しいこの扉、王宮の入り口であったとの伝説が残っているほど。現在は
特別な儀式用にのみ使用されているため、普段は開かずの扉です。
柱頭の彫刻もきれいに残っており、当時の職人さんたちの腕の良さがうかがい知れます~。
ロマネスク建築は、1000年代にフランスとスペインの境をなすピレネー山中から起こったとされています。
紀元1000年を目前にしたキリスト教世界では、「人類は1000年を境に滅びてしまうのではないか~」という世紀末思想が広まり、不安に駆られた人々はひたすら神に祈りを捧げました。そうしたところ、ついに1000年になり、さらに1001年が無事にやってきたので、「もう大丈夫、神が我々を守ってくれた、神様ありがとう~」と、神へのお礼として聖堂建築ブームが起こりました。
その時に使われた技術が
古代ローマの馬蹄型アーチだったため、「ロマネスク様式」と呼ばれるようになるわけです。
ロマネスク様式の特徴は他にもいろいろあるのですが、その後にフランスで起こった「ゴシック様式」と比べると、アーチの形の違いがもっとも顕著。
ゴシック建築ではボールト交差の技術が進んだため、もはや丸みを帯びたアーチは使用されなくなり、先の尖った形に変化していくからです。

(聖メアリー大聖堂のゴシック様式の窓、
archiseekより)
聖メアリー大聖堂の西の扉は、アイルランド島内に残る数々のロマネスク・アーチの中でも、非常に保存状態の良いもののひとつ。神々しいような気持ちでこの扉をくぐっていった中世の人々の恍惚とした表情が、目に浮かぶようです~。
扉まわりの柱には、
中世から戦場となることの多かったリムリックの歴史を象徴するような傷跡も残っています。

この柱の傷、なんと、
中世の兵士たちが剣を研いだ跡!立派な大聖堂の柱で研いだ剣は、さぞかしご利益があったことでしょうね~。
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