昨日よりゴールウェイ(Co. Galway)に来ています。
小雨の降る中、ウィリアム・B・イェイツ(William Butler Yeats, 1865-1939)が住んバリリの塔(
Thoor Ballylee, Co. Galway)を訪ねました。

森と小川に囲まれた15世紀の古城は、タワーハウスと呼ばれる当時のアイルランドにさかんに建設された形の城のひとつ
52歳で結婚したイェイツは、以前からお気に入りの場所であった森の中のたたずむこの城を購入。イェイツが若い頃から親しくしていたグレコリー夫人(Lady Augusta Gregory)の住まいに近く、城そのものも、もとはグレゴリー家が所有していました。
1916年、結婚したその年に購入、約2年間ほどかけて修復をし、1921年~29年の間、主に夏の住まいとして妻と2人の子供と共にここに暮らしていました。

イェイツの詩作が最も円熟していた頃。ここでさまざまな傑作が生まれ、ノーベル文学賞を受賞したのもこの頃でした(1923年受賞)

塔の壁にはめこまれた碑文にはこんなことが書かれています。「私、詩人ウィリアム・イェイツは、古い粉ひき小屋の板と海緑色のスレート石、ゴート(Gort)の鍛冶職人の技により、我が妻のためにこの塔を修復した。再びここが廃墟となっても、そういった特徴が残りますように」
アイルランドの田舎を愛したイェイツは、人里離れたこの地を非常に愛し、詩作に励みました。近くに住む友人のグレゴリー夫人の邸宅クール・ハウスには当時のアイルランドの文学者たちが盛んに集い、文学談義に花を咲かせていました。
そのような土地柄は、田舎と言えど、なんだか軽井沢の文学サークルのよう。美しい自然の中でさまざまなドラマもあったことでしょう。
ちなみにイェイツは、ここを「城」とは呼ばず、あくまでも「塔(Tower=(アイルランド語で)Thoor」と呼びました。「城」はイギリス支配を連想させるため、アイルランドの独立期を愛国者・文芸復興運動の立役者として生き抜いたイェイツにとっては、使いたくない言葉だったのでしょう。

塔の向かいの森
1929年イェイツがこの地を去り、城は再び廃墟に。1965年のイェイツ生誕100周年に向けて修復がなされ、それ以来「イェイツ・タワー」として一般公開されていましたが、城の脇を流れる小川の度重なる氾濫でダメージを受け、2009年についに閉館。
昨年修復が行われたので今年は再オープンするかな…と期待していましたが、残念ながら未だクローズ。近いうちに開館することを願うばかりです。
バリリの塔を訪れたのは、かれこれ10年ぶりくらいでした。イェイツゆかりの地としてスライゴを訪れる人は多いものの、こちらまで足を運ぶ人は少ないため、私もなかなか機会がないまま時が過ぎてしまいました。
塔の中への入れなかったものの、久しぶりにこの地へ足を運び、イェイツの詩作の源を感じたような気分。しとしとと雨が降る中、清涼な空気が心地よく、何か特別な「気」の流れる場所だなあ、とあらためて感じました。
ちなみにこの城のすぐ脇で、アイルランド映画の名作「静かなる男(The Quiet Man, 1951年)」の1シーンが撮影されています。ジョン・ウェインとモーリン・オハラが川を渡るシーンですが、今度見る機会があったらご注目ください(笑)。
塔に住む・古い城に住む…というのは、憧れのひとつですね。小川が横切るのも、森がとなりにあるのも、すべてが絵に描いたようにパーフェクト。こういうシチュエーションに、子どもの頃、とても憧れていました。
イェイツの生きた時代は本当にロマンチックで、彼にまつわるさまざまな人物がみな情熱的&個性的。そのまま大河ドラマまたは歴史マンガになりそうなエピソードがいっぱいあるので、いつかまとめて書き下ろしたら面白そう…などと思ったりしている今日この頃です(笑)。

塔に隣接するコテージに、雨の中、ひっそりと咲いていたペールピンクのつるバラ
※バリリの塔への行き方:(ゴールウェイより)N18をリムリック方面へ。Ardrahan村を過ぎ、「Thoor Ballylee」のサインポストが見えたら左折。
※最近のイェイツに関する過去ブログ:
イエーツの「さらわれた子ども」の地にて
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