昨年のちょうど今頃、取材コーディネートをさせていただいたアラン諸島(Aran Islands, Co. Glaway)の記事が、今月のJALカード会員誌「
Agora」に掲載されています。
「アラン諸島 時を紡ぐ島」のタイトルで、全11ページ。美しい写真と、読み応えある内容です。

イニシュマーンで出会ったおじいさん

イニシュモアの漁師さん。いずれも本誌には採用されなかったショットです
6日間にわたるアラン諸島のみの取材。島にどっぷりとつかって、取材チームの皆さんと楽しく過ごしたことを懐かしく思い出しました。
「Agora」はJAL会員限定の雑誌で、一般には販売していないとのこと。
ご覧いただくのが難しい方もおられるかと思いますが、チャンスがあれば見てみてくださいね。
※本誌に登場しているイニシュマンのセーターの編み手、メアリー・オフラハティーさんは、今年8月にお亡くなりになられました。完成した本誌を見ていただくことが出来ず、本当に残念でした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
※取材時の過去ブログ:
イニシュマーンを再訪/
イニシュマーンにて/
イニシュモア島の「トンネル」/
石の島にて癒しの旅…
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コメント
Yaichiro Nozawa
JALの「Agora」は一週間ほど前に知人から入手して読んだばかりのところでした。その内容から、私の本が影響しているようだったので、こりゃきっとナオコさんかんでるなぁ、とすぐにそう感じましたが、やはりそうでしたか。
記事中写真のメアリー・オフラハティさんを見て、ちょっとむくんだなぁ、歳取ったんだなぁ、と思ったのですが、その彼女が先月に亡くなった、と聞き、大変ショックです。
今もう一度自分の本を読み返しました。彼女のアランの土地とアランセーターを愛するがゆえに私に発した厳しい言葉の数々を思い出します。会っていきなり聞かれたのが「あなた、赤い方の船で来たでしょうね?」でしたから。
メアリー・オフラハティさんは、最高のアランセーターの編み手のひとりであったというだけでなく、自分で編んで自分で売る、という最も原始的な販売スタイルを取るただひとりの人でした。イニシイア島、イニシマン島にはまだ何人かのニッターがいるにせよ、最も観光客の多いイニシモア島で彼女がアランセーターの普及啓蒙に果たした役割は大きなものでした。アランセーターの歴史の中で、貴重な人物をまた一人失いました。残念です。
2010/09/20 URL 編集
naokoguide
ご無沙汰しております。コメントありがとうございます。
メアリーさんのことは、本当に残念でした。素晴らしい編み手であるだけでなく、とっても印象的な方でもありましたよね。さみしいです。
Agoraのあの記事のライターさん、下調べもしっかりしておられる優秀な方で、私が紹介するまでもなく、野沢さんの著書をすでにお読みだったように記憶しています。
私もこれから、野沢さんのご本のメアリーさんのところを読み返してみようと思います。
2010/09/20 URL 編集
kimiko
2年前の初訪愛で、雑誌を読んで以来10年間の憧れ、
メアリーさんのところへ行ってきました。
ご主人にランチをつくらなきゃなどと言いながらセーターのお部屋で合うものを選んでくださって、いたってお元気だったのに。
メアリーさんに事前に電話をして、ケルト語の会話で
「あなた、日本で有名なんだって。これから行きますよ」と言ってくれた宿のマダム。
メアリーさんの周りにいた島の人たちの顔が浮かんできます。
美しい島の笑顔のひとの、冥福を心からお祈りします。
2010/09/22 URL 編集
naokoguide
私も突然のことで、びっくりしました。
前回お会いした時は、お元気だったので…。
本当に残念ですが、世界各国でメアリーさんの編んだセーターが彼女の死後も多くの人々に愛されていることを思うと、少し慰められるような気がします。
2010/09/23 URL 編集