私がかれこれ20年以上所属している、趣味のサークルのニュースレターに原稿を書くため、ここ2日ほど、
19世紀初めに活躍したスコットランドの国民的詩人・歴史作家のサー・ウォルター・スコット(Sir Walter Scott)のことを調べていました。
資料を読んでいたら、
1825年にスコットがアイルランドを訪れたという記述に行き当たり、興味深く思いましたので、ちょっとご紹介を。
騎馬隊の将校としてダブリンに赴任していた息子夫妻を訪ねるという目的もあり、アイルランド訪問を決めたスコット。
50代前半のスコットランドの著名な作家は、ダブリンで大歓迎を受け、「(人々の)熱狂に焼き焦げんばかり」だったと感激しています。トリニティー・カレッジの学長から法学博士(スコットは弁護士のキャリアあり)の称号を授かり、ウェリントン公爵の弟である陸軍大尉に昼食会に招待され…と大人気。
「ダブリンは殺伐とした都市だと聞いてたが、自分の目にはそうは映らない。裕福な階級の他は、貧困があるばかりなのだろうが、よそ者にはその様子は全く感じられない」と書き残していますが、これだけのもてなしを受けていれば、それはそうでしょう。
ダブリン近郊では
グレンダーロックを観光、聖ケビンの洞窟へ登りました。
当時ファッショナブルな保養地として上流階級に人気のあったキラーニーへも行っているのですが、鉄道開通には30年ほど早い時代なので、えんえん馬車で行ったのでしょうか?(
ビアンコーニ印の馬車だったのかな~)
キラーニーへ行く道中の地方都市でも大歓迎を受け、
リムリックでは歓待の鐘が町中に響き渡り(おそらくアンジェラの鐘)、
コークでは晩餐会が開かれたそうです。
スコットは、
エッジワースタウン(Co. Longford)の領主の娘マリア・エッジワース(Maria Edgeworth)と、お互い作家同士としての交流がありました。エッジワースタウンの館にも当然招待され、毎晩のようにパーティーが催されたとのこと。マリアは歓迎の意をこめて、町のスクール・バンドにスコットランド音楽を演奏させたそうです。
マリア・エッジワースが永眠するエッジワースタウンの聖ジョン教会には、今も
スコットから贈られた大理石のテーブルが保管されているそうですが、この時に贈られたものかもしれません。
以下、
スコットランド・ボーダー地方のスコットゆかりの地の写真。2004年夏に訪れた時のものです。
アイルランドというひとつのテーマから、こうやって次々に枝葉が広がっていくのが、とても楽しいです~。

スコットの豪邸
アボッツフォード・ハウス
「スコットの眺め」として知られるイルドン・ヒルズ
※日本ではあまり知られていないマリア・エッジワースですが、日本語で書かれた
こんなサイトがありました。
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